革製品のお店をようやく脱出して、エフェソスへ。
まずは、山の頂上までバスで登って、聖母マリアの家へ
聖母マリアはイエスの死後に、聖ヨハネとともに、エフェス(現エフェソス)のこの地に移り住み、余生を送ったといわれているところ。現在はキリスト教徒の聖地になっているらしい。
この日も、観光客のほかに、多くの巡礼者がみられました。
中には、マリア様の肖像と、像がありました。
郵便局があり、昨晩へろへろになりながら書いた日本への絵葉書を何枚か出しました。
5日ほどで届いたようで、なかなか優秀ですね。
その後、エフェス都市遺跡へ。
エフェスは紀元前11世紀、イオニア人による都市国家が成立、その後紀元前2世紀ごろにはローマ帝国の属領となり、ローマ、アレクサンドリアについで、3番目に人口の多い町だったとか。紀元前33年には、クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために上陸して、つかの間の甘いひと時をすごしたとかいう伝説も残る。
シルクロードの西の終点も、エフェスだとか。とにかく、ローマ帝国時代の、とっても主要な町だった、らしい。
イオニア式の大理石の柱。
イオニア式、ドーリア式、コリント式ってあったよなあ。
イオニア式が、一番シンプルだったような。
世界史の教科書、捨てちゃったなあ・・・。
ナイキ(NIKE)って、勝利の女神ニケなんだってさ。
左)ヘラクレスの門 2世紀
右)ハドリアヌス神殿
138年に完成し、ローマ皇帝ハドリアヌスに謙譲した神殿
117年に完成、当時1万冊の蔵書を誇り、図書館の壁下には、エフェスの統治者セルススのお墓があったそうだ。
とても優美で、そして壮大。
図書館の前面の壁しか残っていませんが、一階がイオニア式、二階はコリント式の柱でできていると、今、ガイド本で知った!そうだったのか、そこまで良く見なかったな~~失敗。
収容人員は2万5千人、ヘレニズム~ローマ期でも最大級。
劇場からとっても離れないと、全景を写真に収めるのは難しい。
現在も、いろいろな催し物が開かれている現役の劇場らしい。
エフェス都市遺跡は、観光客もすごかったが、春の小さな花たちや、青々とした草たちが成長する中に、古代の大理石の柱が転がっているすごい空間でした。
変に復元されていないところが、少し寂しいけど2000年近い時をますます感じさせて
私が生きているこの時間が、ますます小さく短いものに感じるのでした。
聖母マリアが、ヨハネが、クレオパトラが、アントニウスが、遠くからエフェスを訪れて、何を見て何を感じていたんだろ。
エフェスを後にして、イズミールへ。約70キロ/1時間
イズミールは、トルコ第3の人口を誇る港町。
人生初のエーゲ海が見えるレストランで夕食(黒鯛のグリルなど)いただいて
イズミールにある、プリンセスホテル。
なんとなく外観がバブリーでギラギラしているほかは、特に印象にのこりませんでした。そして、さっさと寝たにちがいない。覚えてないけど・・・
早朝のパムッカレから見所満載の、充実しまくった5日目が終了。
・・・結局、ガイドさんと差しで23時ごろまでいろんな話をした私は
(どんな仕事?、とか、給料がいくらくらい?、なぜ、トルコで貧乏話を・・・)
ふらふらになりながら部屋に入り、翌日は郵便局に寄るということだったので
夜1時までかかって、何枚かはがきを書いた。
・・・あまりに眠かったので、簡単な字をやたらと間違えた。
パムッカレの、パムサーマルホテル
水着着用の温泉プールのほかに、お部屋も温泉です
源泉はパムッカレから引かれています。
鉄っぽい感じの温泉でした。
お部屋はかなりシンプルで、何棟にもわかれています
ちょっと湯治場っぽい雰囲気もあったでしょうか。
パムサーマルホテルから、パムッカレは本当にすぐ
私は、パムッカレにとてもあこがれていたので、早朝、快晴の元で
青白く輝くパムッカレを見れることに、朝から超、テンションが高い(寝不足もあるが~)
世界遺産は「ヒエラポリスとパムッカレ」になります。
ヒエラポリスとは、石灰棚のすぐ上に位置する古代都市
紀元前2世紀ごろから栄えた都市の遺跡
温泉の有毒ガスが噴出する、プルトニュームという遺跡もある。
有毒ガスを吸ってトランス状態に陥った神官が、預言を行ったとか
魔界の悪霊、プルートに由来するそうなんですが、プルトニウムの語源ときっと一緒ね。
・・・しかし、ここでの自由行動時間のほとんどを、パムッカレの石灰棚を散策しちまったので、ヒエラポリスを見る時がほとんどなかったのである。
だから、言うほど見ていないの・・・。
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味。
段々畑のように連なる白い石灰華の岩棚、数千年間にわたって流れ続けた鉱泉が作り出した。
真っ白い炭酸カルシウムの塊が、この時間帯(午前8時台)はまだ、青白く印象的
左は、パムッカレを下から見上げたところ真っ白いダムがあるみたい。
上からの眺めは、本当に青白い石灰棚溜まっている温泉は、まだまだ蒼い。
一面の白、現実ではないような光景★
観光客の立ち入りのできる範囲の温泉は足首程度の深さで、体感的に40度弱?
はだしで入らなければならないので意外と、足が痛い!
世界遺産の温泉を飲む野良犬
リウマチ、高血圧なんかにいいらしい。
パムッカレの温泉は、年々湯量が減っていて、この日も、お湯の無い石灰棚が目に付いた
近年は保護政策により、これでも湯量が戻ってきているそうだ。
がんばれ、トルコ政府。
だって、天国みたいな場所だったよ。とても写真には残らない。雲の上のような世界でした。
憧れでした。幸せ。
大理石の柱など、ヒエラポリスの遺跡が底に沈んでいる
天然の温泉プール。
この日、泳いでいる人は誰もいなかったけど
入ってみたかった~~
しかし、時間配分的にも、ここにいたのは3分!
時間も短いが、最後に走って見て来たって感じ^^
青から真っ白にかわりつつあるパムッカレを、泣く泣く後にして、
ちょっと遅れそうになったのを、ガイドさんにおこられる寸前に集合して
移動)パムッカレ~エフェス 約215キロ/3時間
途中、オリーブ畑の中にある、ガーデンレストランで、さわやか~なエーゲ海地方の光と風を満喫しながら昼食。ああ、なんて素晴らしい日!うっとり。
そして、革製品のお店へ。
前述した、じゅうたん工場に続いての、強制入場であったけど、これがまあ。
悪徳商法のイベントに迷い込んだかのような(迷い込んだことないけど)
店中を、「貧乏ですから。すいません、すいません。」といって逃げ回り。しまいにはトイレに逃げ込むほどのしつこさでした。怖かった。買わない人たちはあたかも子羊の群れのようにひたすらひっつきあって、お互いを守り、時間が過ぎるのをひたすら待ち続けるのでした。
確かに、羊のやわらかい皮のコート、すばらしいけど、私には似合っていない。
さらに、日本人だからって、みんな裕福ではない。
しかし、トルコ人の商魂、たくましい。
「買わない人もいる」でいいではないか、と思うのだが。20人のうち、4~5人買えば十分じゃねーか??
旅行中に、トルコ人に一番主張したことは「私は、あくせく働く貧乏人だ、旅費で精一杯なんだ!」ってことだった。よーな・・・
商魂の巣窟から脱出し、気を取り直して、素敵な5日目の午後に続く★★
← 早朝、カッパドキアの上空を飛ぶ観光バルーン
本当は、オプションでもこれに乗れるツアーに
入りたかった・・・
でも実際あんまりなかったんだよね。
この日の朝もあいにくの曇天
バルーンに乗ってもちょっと残念だったかも。
そんな気球を横目に、私たちはカッパドキアのじゅうたん工場見学にでかけます。
トルコのツアーには、必ず、じゅうたん工場、革製品の店、トルコ石の店を見学しなければならないという、厳しい掟があるようで・・・仕方ない。のです。
最初に、カッパドキア大学で日本語学科の教授をしているというおじさんが、流暢な日本語で、じゅうたんが作られる工程と、なぜ、こんな風にじゅうたん作りや販売を、国レベルで行っているかの説明がありました。
ちょっと前まで、田舎の女性が将来の生活が困ったときのために、と折り貯めたじゅうたんを売る相手は商人で、困っていればいるほど安く買い取られ、それがイスタンブールや外国で、数十倍数百倍の値段で売られることが多かったそうです。
田舎の女性たちに、頭金だけを渡し、商品をもっていってしまい、その後一切支払われなかったこともたびたび。教育が低く、契約書も交わされない取引で、ずいぶんと搾取をされていたとのこと。
最近になって、伝統工芸と、市民を守るために、できあがったじゅうたんはすべて市役所に持ち込まれ、専門家による鑑定がおこなわれ、値段が決められ、それに基づいて市役所から彼女たちに支払われるようになり、じゅうたんは一度お役所が管理して、国からの保証書つきで販売することになったとか。
最近は、機械織りの中国製品などのにせものがたくさん、保証書も偽造されるようになったとか。
じゅうたん工場では、トルコの手作りのじゅうたんのすばらしさと、偽者にだまされないようにしてくださいという説明があり、その後販売もありましたが、あまり、しつこく売ろうとはしなかった。
価格は2~3万円のものから、数百万のものまで
しかし、日本で買ったら、3倍くらいはするそうです。
ツアーのメンバーは関東のアラ還マダムが多かったので、買ってるひともいた
私は、もっぱら鑑賞させてもらい、トルコ・コーヒーを淹れてもらって、イケメンの販売にーちゃんと話だけしていた。(イケメンは穏やかだったが、貧乏女に辟易していたかもしんない)
でも、まあ、じゅうたん織りの女性たちは守られているのだということがわかり、ちょっとほっとしたのであった。イケメンたちも、産業の少ないこのカッパドキア地方で、観光客にニセモノじゃないじゅうたんを売るのだから、悪い人ではないらしい。みんな日本語ペラペラ。
つーことで、その後は、この旅一番の移動となるのだ。
午前)カッパドキア~コンヤ 約220キロ/3時間
午後)コンヤ~パムッカレ 約430キロ/6時間
バスはシルクロードを走っているので、休憩するところもこんな感じ。
隊商宿(キャラバンサライ)のスルタンハン
シルクロードは約40キロにひとつ
キャラバンが宿泊するための施設があった。
人間が休める部屋、ラクダが休むところ
通常は入場しないでトイレだけ借りるらしいが
ガイドさんのこだわりで、見学になった。
メブラーナ博物館
シロクマ人生初のモスク入場です!
印象的な白い衣装で旋回して踊る
メブラーナ教のかつての総本山
旋回しながら忘我の境地に達し神との合一を目指すとか・・・・
現在、そのメブラーナの舞は、年に一回12月にしか見られないそうです。(みたい!)
そいで、またどんどん走るんです。
トルコの大地は、見ていて飽きません。
基本は、北海道のような広い広い牧草地、農地に地平線まで大きな道路が延びていて
そこを90キロくらい出してじゃんじゃん走ります。
ひつじがいて、牛がいて、オリーブ畑、小麦、果樹園、鉱石の切り出される山
町にはトルコの花チューリップが満開。
虹が大地から生えてしっかりと大地に下りていたりとか・・・
眠ったり、なんだりして
日没・・・・
すぎてもまだ走って、20時ごろ
パムッカレのホテルに着いたんです。
バスを降りても、ふわふわゆれているみたいな感じで
21時過ぎにようやく部屋に入ろうとしたら
ブログの記事にも良く出てくるガイドさん(トルコ人男性40代くらい??)に
「シロクマさあ~ん」と呼ばれ
「ここ、すわってください~」とホテルのロビーでチャイをご馳走になり
「なぜ、シロクマさんは結婚していないのですか?」
ガイドさんの純粋な興味と、その悪意の無い表情の裏に
「なぜ、そんな年になって?何か重大な理由が??」
と読めるのでした・・・・。
なぜ、9時間も移動してヨレヨレの今、その話なの・・・?
・・・・日本から、1万キロ離れても、聞かれることは同じ。
トルコでは 40歳は おばあちゃん
(シロクマ心の一句)
ギョレメ野外博物館までは、残念な曇天~小雨だったのですが
その後は、晴れ~曇りの繰り返しになりました。
日のあたる奇岩群は、曇天のそれよりやはり数段に美しくて素晴らしいものでした
ギョレメ地区狩人の谷より、ギョレメの奇岩群を見下ろします
視界いっぱいの奇岩たち。
春の野の花もいっぱいです。
雨が上がって、虹が少し出ていました(残念ながら写ってなかった!)
ウチヒサールより
ヒサールというのは要塞のことだそうです。
その後は、奇岩群の間を、ハイキングです。
雨で歩けないのではないかと心配しましたが、大丈夫★
17時くらいだったのと、雲に追いつかれて少し暗くなってしまいましたが
1時間以上、奇岩と野の花が美しいコースを、ローズバレーまで
十分に美しい景色ではあるんですが
夕日が当たると真っ赤になり美しいとのこと
やはり残念。天気は重要です。
ホテルに入る前に、今もカッパドキアの洞窟民家に住むご家族を訪問
(これは、行程にはなかったんだけど、ガイドさんが調整してくれた)
お嫁さんが、20数名分のチャイを入れてくれるのでした。
おうちの中を案内してくれて、記念撮影にも応じてくれる。
娘さんの一人は(15歳くらい)、とても嫌そうな顔をして迎えてくれていた
おばあさんは誇らしげに堂々と、自分の織ったじゅうたんをみせてくれた
観光客をたまに迎えることも、一家の大事な収入になっているのだろう。
だから、娘さん。ちょっとの時間、がまんするのだ。
カッパドキアのお嫁入りの話をガイドさんから教えてもらっていたので
とてもわかりやすかった。
選択肢の少ない女性たちの人生を、哀れむような声もあがっていたけど
私からみたその一家は、とても幸せそうでした。
カッパドキアの洞窟ホテルに宿泊。(洞窟ホテル泊はやや高い)
私なんかひとり利用だから、いくらかかってるんだ??
お部屋は狭いけど、本当に雰囲気があって、洞窟ホテルのプランにしてよかった。
お天気がちょっと残念なカッパドキアでした。
まる一日なんて、本当にもったいない。3日くらいみっちりいたかった。
一生懸命祈っていたのですが、この日も、グレイ一色の空。
アンカラからカッパドキアの間も、時折、強い雨が降ったり、晴れ間がさしたり
ガイドさんの話を聞きながらも、ずっと空模様が気になっていたんです。
まずは、地下都市カイマクルへ
キリスト教徒がアラブ人の圧迫を逃れるために
住んだ地下都市。
かつては最高で5000人ほど生活したとか
台所や食料庫、教会などがある
迷子になった日本人が数日後に
ぜんぜん違うところから出てきたというくらい
ものすごい広いらしい。
晴天だったら、写真ももっと素敵なのにね。
クリックして少し大きくしてみてください。
中に妖精がすんでいるという言い伝えから
妖精の煙突ともいわれています
キノコ岩のひとつを登ると、中には
キリストでしょうか。
カッパドキアは、迫害されたキリスト教徒が
たくさん身を潜めていたんですね、
奇岩の中の教会には
こんな風にキリスト教関係の
古いフレスコ画がたくさん残っています。
ここではあいにくの雨!残念
さあ、あいにくの雨はここまで、これから先は、少し晴れ間が見えてきます。
3日目②につづく。
以下、カッパドキアの嫁入りのお話。興味のある方はどうぞ。
ガイドさんによると、カッパドキア地方は、早婚のトルコのなかでも、また結婚が早い地域で、女性はだいたい10代中半から、義務教育が終わると、高等教育は受けずにじゅうたんを織る人が多い。
じゅうたんは、嫁入り道具なだけでなく、その後の彼女の財産として、老後や生活が困ったとき(カッパドキアのお嫁さんは、その後も家事や農業に加えてせっせとじゅうたんを織りますが、歳をとってくると目が悪くなるので、やはり、若いときに織ったもののほうが精密で、老後に売るころにはアンティークになってて、高く売れるんだそうです)
カッパドキア地方をはじめ、トルコの地方では産業が少なく、男性にとっての稼げる仕事はあまりなく、女性の働きが家族の生活を支えます。だから女性はとてもたいへんです。
ちなみに、トルコの(田舎の)女性は、嫁入り前になると、家の屋根に空のガラス瓶を置きます。
それを見た、旦那さん候補の「お母さん」が、彼女の家を訪ねてきます。
(もちろん、少女時代からめをつけていた子でもあるのでしょう・・・)
そして彼女の部屋に積まれている、じゅうたんその他調度品を見ていきます
それは予告無く、いきなりやってくるそうで、いつもきれいにしておかなければならない。
んで、ひととおり見学が終わった後、彼女はその「お母さん」にコーヒーを入れてあげます
彼女が、コーヒーにたっぷり砂糖を入れて、甘くして出していたら、嫁入りオーケー
ブラックにして出していたら、「あなたの息子さんとは結婚したくありません」だそうです。
でもどちらであっても、「お母さん」は「甘くておいしいわ」といって全部飲むそうです。
でもブラックだったら、ちょっと残念。と思いながらかえって、また息子に嫁を探すために、次のチャンスを狙うんだそうです。
なぜ、「お母さん」が選ぶのか、というと、カッパドキアなどの田舎の家では嫁の働きに家族の存亡がかかっているといっても過言ではないらしく
「お母さん」が思ったように育てやすい、なるべく年端のいかない素直な、さらに働き者で手先の器用な嫁を、数年かかって姑好みに立派に育て、「お母さん」は嫁業をバトンタッチ!それまで働きづめだった自分が、その後を悠々自適に暮らせるかどうか、かかっているからだそうです。
なるほど・・・カッパドキアの女の人は大変である。尊敬します。
トルコはそういう昔の体制が残っているところと、急速に崩れつつあるところの差が大きいようです
数十年前は、日本だっておんなじようなもんだったもの。
ただ、救いなのは、最終的には選択権が お嫁さんになる本人にあるということ
苦いコーヒーをもらったことは、彼女と、「お母さん」だけの秘密で、後追いは一切しないんだって。
ちなみに、再婚したい人は、素焼きの瓶を置いておくそうです。
ガラス瓶、素焼き瓶にかかわらず、数年も置いたままの家もあるとか・・・・
若い添乗員さん(女性)と、トルコではもっと終わってる年齢の私は、このネタで現地ガイドさんに
「シロクマさんも家に帰ったら瓶を置いておきましょう」と何度も言われるのでした。
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てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
