2週間ほど前に、急に思い立ち
ネットで検索して、航空券と宿を確保。
まず、伊丹空港からバスに乗って、天王寺で降り、あべのハルカスをちらりと見上げる。
ハルカスに近いところに降りたので、見上げると首が痛い。
展望デッキに登るための行列の最後尾を追い抜いて、大阪阿部野橋駅へ
吉野行き、特急列車に乗車。
2両編成なのに、1両は喫煙(いまどき!)
全席指定、というのに、販売窓口がなく、スイカで入っていたら
車掌さんが、指定料金を徴収にきた
「全席指定ですが、空いているところにすわってください。」
・・・?どういうこと??
よくわからないが、私の乗っている車両に、客はほかに2名しかいないので、そのままま座っとく。
特急というには、かなり鈍足な感じもしますが、車窓の田園風景を楽しみながら(九州と変わらんな・・・)1時間15分ほどで、近鉄吉野駅に下車
徒歩で、吉野山ロープウェーに乗車、日本人がやっていることなので、信用してはいますが、かなり年期が入っています。
高所恐怖症の人にはたまらないカンジです。がくん。ってします。
ロープウエーを降りて、徒歩10分くらい?
世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)の一部 金峯山寺(きんぷせんじ)
7世紀、修験道の開祖 役行者(えんのぎょうしゃ)が開設
↓が、蔵王堂(本堂)本尊蔵王権現三体の他の尊像を安置
本尊がとても大きいので、蔵王堂もビッグです。
幾度か、焼失と再建を繰り返しているので、柱の木材の種類が統一されておらず
太さもまちまちだったり、面取りがされていなかったりするそうです。
まあ、もちろん、堂内の撮影は禁止なのです。
↑ これ狙いできてみました。
4年間の片思いの末、でございます。
10年間限定で、毎年一定期間の秘仏公開をするとか。
霊験あらたかで、基本秘仏のご本尊にもかかわらず、お寺さんはこんなポップな感じでお出迎え。この特別参拝の入場料で、仁王門の建て替えをしたいみたいです。
金剛蔵王権現像は、中央が釈迦如来(過去、7.3メートル)右側が観音菩薩(現在、6.1メートル)左側が弥勒菩薩(未来、5、9メートル)が弱い私たちに喝を入れるべく、権(仮り)に現れたお姿です。
安土・桃山時代に現在の蔵王堂ができたときに作られたようです。
大きくて、青くて、髪は逆立ち、牙のようなものが出ていて、炎をまとっています。おまけに片足を振り上げて、踏みつぶさんばかりのいでたちの巨像が、3体並んでいるお姿は、圧巻です。
本堂の畳に座ってお参りするのはもちろん、もっと近い距離、須弥壇のすぐ近くに『発露(ほつろ)の間』という、腰の高さくらいまでの障子で区切った、独りで参拝できるスペースがあり
狭い空間で、1対1で、権現様と対峙することができました。
これは、なかなか。すばらしいお気遣い(演出?)で
ひとりになったとたんに、思うところがたくさんあるものです。
発露の間を担当しているお寺さんの職員の方は、特に時間制限も設けず、『ゆっくりお参りください。』とだけ、にっこりと笑って案内してくれます。
あとにたくさんの人が並んでいるとかでなければ、長い時間、権現様の足元近くでその時間を満喫することができるのです。
私は、最初、中央の権現さんの足元に、そのあと、しばらくして、『もう一回いいですか?』と左側の権現さんの足元の間に入れてもらいました。
鹿児島くんだりから行った甲斐があるというものですが
そもそも、昔は修験道の修業の地、このお寺にたどり着くまで10日は掛けていたとか。(その間に、権現様の前に座すのにふさわしいクリーンな体になってもいたようです。)でも、それでも秘仏ですから本尊を参拝することはできなかったでしょう。
飛行機と電車とロープウエーで、俗世感ありありで気軽にやってきて申し訳ないくらいです。
↓こちらも世界遺産の一部、吉水神社です。こじんまりとして、静謐な神社
後醍醐天皇がご祭神です。
南北朝時代、後醍醐天皇がここを南朝の皇居にした初期書院造の建物が公開されています。
中には、後醍醐天皇の玉座(?)の間があります。皇居というにはあまりに質素ですが。
また、源義経が逃走中、ここに隠れており
女人禁制のお山を越えて逃げるため、静御前とここで別れたという場所だとか
建物の中には、義経の鎧、弁慶のやりなどが残されています。
歌舞伎の『義経千本桜』の舞台となっているようです。
ちなみに、この、吉水神社の近くに、勝手神社という、狛犬と門だけが残っている神社跡があります。
そこは、静御前が捕らわれたあと、敵の前で舞をしたという場所なんだそうです。
神社を再建する費用を集めているようでしたよ。
さらに、豊臣秀吉が豪気に花見にやってきたようで、そのころに献上されたというお宝(壺とか)や豪華な屏風が残されています。
一目千本の山桜、5月ではこんな感じ。
有名な吉野の桜は、もともとは金峯山寺の蔵王権現に献上するために植えていったものらしいです。
最初に彫られた蔵王権現が、桜の木でできていたことから、この地の人々は桜の木は折れた枝でも粗末にしなかったとか。
春ならば、こんな感じみたいです。(写真はイメージです。)
初めての吉野山、この後、大日寺というところまで見ましたが、力尽きました。
この日は33℃くらいあって、この時期としてはかなり暑かった。(3日間とも暑かったけど。)午後1時半から4時すぎまでという短い滞在でした。まる1日くらい滞在できれば、もっとちゃんと見られるんだったんでしょうね。
まずはインパクトの強い蔵王権現様との出会いが、やはり良かった。
しかし、再び吉野から奈良市まで、約2時間半掛かる。
大阪からのほうが近いのが、なんだか腑に落ちないのでした。
1日目を投稿してからだいぶ時間がたってしまいましたが、2日目の様子を少し。
●椿光寺(しゅんこうじ)
大きなお大師様が出迎えてくださいます。
お大師様の足元には、霊水が湧き出ていて、おいしいです。
中には、薬師如来と、弘法大師の像
そして、気のイイ?ご住職様が、六郷満山のことや、比叡山での集会?の様子、京都で修業中の息子さんのこと、など、とびきりの笑顔でお話ししてくれました。
奥様も、本当に人のよさそうな方で、お茶を出してくださって、遠くから来た私たちを気遣ってか、帰りにはジュースを持たせてくださいました。
ちなみに、この界隈の『椿』がつくお寺さん同士には確執が存在するらしいのが分かったので、とりあえず、一番手前のこちらだけを拝観させてもらいました。
なんだかよく分かりませんが、大変ですね。
●黒土不動尊 無動寺
こちらのすごいところは、何と言っても・・・・
拝観料が無料で、しかも本堂のお仏像の、写真が取り放題ってことでした。
平安期の仏像16体(県の重要文化財)
ちゃんとお茶を持ってきた女性に確認しました(拝観料も取らないのに、お茶と『ザビエル』(大分県のお菓子)も出してくれた。拝観記念の手ぬぐいまでいただいた・・・申し訳ないので、書籍を購入しましたが、親切すぎです。
薬師如来と十二神将像
写真もたくさん撮りましたが、ゆっくりと畳に座って、疲れも休めながらお姿を拝見させてもらいました。すごいです。京都とかではありえませんね。
本堂脇のお地蔵さんたち。裏手には十六羅漢像などの石像がたくさんあるそうです。
●真木大堂
入口からはそのすごさを想像することはできませんでした。
おそらく、この九体の仏像(国の重要文化財)たちを保護、展示する目的で作られたであろう、新しい本堂は全面ガラス張り。もちろん撮影不可(>_<) 当たり前なんですけどね。
とにかく、すべての仏像は大きい。そして平安期くらいの作で古い。圧倒的な存在感
左から、大威徳明王像、上の写真ものです。六面六ぴ六足で水牛にまたがっている・・・火焔光背を背負い、堂々とした水牛の存在感!!!
大威徳明王像の中では大きさ日本一なんだそうです。
中央に、重厚な雰囲気の阿弥陀如来坐像で、周囲には、四天王立像、邪鬼を踏むポージングも決まっています。
右手に、不動明王と二童子象
この不動明王も、木造不動としては大きさ日本一、初めて見ました(気づいた?)が、火焔光背が、迦楼羅焔(炎が、不動明王の頭上で迦楼羅になっている)というもので
不動明王の体を、ぐるりと取り囲むような印象的な火焔。中の不動明王が経年劣化しているのも相まって、なんだか、憤怒の炎に焼き尽くされているかのような・・・
あああ・・・画像がないので伝えきれませんが、こりゃ、すげえインパクトなのです。
あんな、あっさりした外観からは、想像することもできないくらいの真木大堂。また行きたい~~
帰りには、境内の鐘をゴーンとつかせてもらいましたよ。
さて、興奮冷めやらぬ国東半島から、そろそろ帰らねばならない時間が迫り、最後はちょっと変わったところへ
●地獄極楽(桂昌寺跡)
室町時代に開基されたが、江戸時代には廃墟となっていた。江戸時代の中期に午道法印という僧侶が呼びかけて、村人が本堂を再建、裏の岩山に約70メートルの洞窟を掘って、人々に教えを説くために地獄と極楽を再現したとか。
中は薄暗く、裸電球で照らされていて、壁は湿っていて天井が低くて頭を打ちそう。地獄の閻魔様の石像から、出口には阿弥陀様まで。カッパドキアにある、カイマクル地下都市に似ています(笑)あそこは乾燥してるけど
チャレンジしたい人は、くさりを伝って、極楽?まで行ける垂直に続く穴がある。20代くらいまでのスリムな男子なら、チャレンジしてもいいかもしれません。ムリは禁物です。昔の人の作ったものなので、安全面は考慮されていないと思われます。
私はここで蚊にいくつか刺されて、帰りの高速でしばらく大変なことに。
そんなエキサイティングな国東半島。アップするまでには相当時間をかけてしまいましたが、とても楽しかった。
たくさん調べて連れて行ってくれてありがとう。感謝しています。
ワタシの住む、南国かごっまから、かなり遠い大分県。
先日、内山観音の千体薬師を見に行って
大分県が、九州の中でもかなり、古い寺社が残っていて
仏像エリアだということが判明。
高速道路を飛ばして、約400キロ。
国東半島のお寺巡りへ。
国東半島には、1300年の歴史を誇る宗教文化圏があります
国東半島六郷満山と呼ばれているもの。
満山というのは、山岳信仰で使われている言葉。山すべてが仏の浄域
「仁門上人」という、居るんだかいないんだか分からない人物が、28寺院を開基したと言われています。
●最初に行ったのは、瑠璃光寺
お話し好きな住職が待ち構えてくださっていて、もれなく説法してくださいます。途中からバスツアーの団体さんと一緒になってしまいました。
仏像は残念ながら撮影禁止です。極楽浄土と地獄の絵も見せてくださいました。
住職は『奥さんを大事にしなさい。』としきりにおっしゃってましたよ。
●両子寺(ふたごじ)
六郷満山の総持院として、全山を統括してきた。
この石造のある、護摩堂の中には、なかなかの形相の不動明王像が
大講堂本尊の阿弥陀如来、ここは撮影OKなの
奥ノ院本尊・・・十一面千手観音です。
ちょっと遠いですが、黄金に光っているようにも見えますね(たぶん、白っぽい造りにライトが当たっているんでしょう)
奥ノ院は崖に接して作られていて、建物の裏と崖のあいだには、こんな祈りのスペースがあります。
パワースポットの岩張もみじ
国宝 大堂は西国唯一の阿弥陀堂(九州最古の和様建築物)
本尊は、阿弥陀如来坐像、堂内には平安時代に描かれた壁画があります(さすがにボロボロ?)
●天念寺
お寺自体は無人で、音声案内が流れます。御朱印もセルフでどうぞってところは、これまで初めてです。(うまく書けるわけはありません)
近くに、鬼会の里という施設があり、国の重文になっている、阿弥陀如来立像が展示されています(好みです)
一度、埼玉県に売却されたものを、平成9年に買い戻し、平成15年に84年ぶりに天念寺に戻ってきたらしいです。
●川中不動尊
天念寺の前に流れる川にある巨岩に、不動三尊が刻まれている。
●長安寺
平安末期に作られた、太郎天童子と、脇侍のセイタカ童子、コンガラ童子像があります。白っぽい一木で作られた、美しい像です。
ピンポンを押したら、奥から鍵を持って出てきてくれたお坊さんが、蔵を開けてくれますが、夕方だったせいか、早く閉めて終わらせたいカンジ山々でした。
不動明王が姿を変えたものが、太郎天童子らしいです。
急遽、西南戦争の時に、薩摩軍が宿泊していたという家が資料館になっていたので立ち寄りました。
こんなかんじ。親切な受付兼解説員のおじさんが、西郷さんのことを熱く語ってくれます。
『西郷先生』とおっしゃるのに、またビックリ。
最近は、かごんま人でも少なくなりました。遠いところで慕って下さってありがとう。
ちなみに、私の母校は、西郷さんやら東郷平八郎やらの、出身地のあたりにございます。
それなのに、最近まで、何がどうすごいのか、よく分からなかったのです。
母校も、せっかくだから教えてくれりゃいいのにね。受験に関係ないことはしないとこだったけど。
ここは、薩摩軍が負けを確信して、薩摩に帰ることを決めた場所らしく
西郷さんは、ここで陸軍大臣の軍服や、その他の書類等を焼いたそうです。
薩摩軍の行程がよくわかりました。昔の人たちは、すごいです。
ちなみに、最近私は、大久保利通のほうに興味があります。
下級武士から、官僚の中の官僚に。どんな変化を遂げたのでしょう。
そして、弘法大師の巨像が、建物の上にたたずむ、今山大師・・・・
すでに夕暮れ。逆光なのが残念ですが。
内山観音も真言宗でしたが、さすが仏教界のカリスマ空海(弘法大師)九州にも幅を広げているのですねえ
そして、この旅のもう一つのメイン、西都市の『うなぎの入船』
閉店間際に滑り込みました
うなぎの価格高騰により、高嶺の花になってしまいましたが
なんと、今回奇跡の特上です。
人生で、めったにあることじゃない(笑)
おいしかったあ~~~
そして、ここは、ご汁がまた最高なんす。
シアワセでした・・・
大分、宮崎の強行軍。暑くて溶けそうでしたが、なんて充実。
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てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
