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一隅を照らす。
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 姉の子(男の子 2ヶ月)がちょっと大きくなってきたので
 父の入院している病院に、甥っ子を連れて行った。

 入院して、外来のときの主治医と今の主治医が交代して
 父はとても良くしてもらっている。
 前の主治医もいい先生だったけど 
 今の主治医は、とても、なんというか、あったかくて
 家族的である。

 薬で体調が悪くなってしまったりする父の
 薬の調節のために、四苦八苦していることを
 毎週逐一報告してくれる。

 甥っ子についても、父に抱かせてあげてくださいね、といつも言ってくれていたので
 連れて行った。


 父は、とても嬉しそうだった。
 それが、自分の孫とわかってはいないかもしれないけど
 私たちを見ると、知っている人が来たと思って笑顔になり
 孫を見て、しばらくしてから「かわいいもんじゃ」といったりしていた。
 
 父と言語的に疎通をとるのはなかなか難しい。
 「そうね」
 「じゃろねえ」
 「よかったねえ」
 などと、返事は返ってくるけど、きっと理解はできていないだろうし
 その会話の直後には、話したことは覚えていないだろうし
 前後のつながりはまったく感じられない。

 でも、甥っ子が面会室にいて
 「お父さんの、初孫だよ、よかったねえ」
 「ええ、よかったねえ」
 「〇〇ちゃん(姉のこと)が、がんばったおかげで、うれしいねえ」 
 「そうだねえ」
 「家族がひとりふえたねえ、よかったねえ」
 「うん、よかったねえ」
 「◎◎くん、かわいいねえ」
 「かわいいねえ」

 そんな感じの、プラスの言葉にあふれていれば
 父の表情もとてもよくて
 よかったね、よかったね。って
 初孫と初対面の写真をいっぱい撮って

 姉のおかげで、父は孫を抱けたし
 父のおかげで、甥っ子は生まれることができて
 甥っ子のおかげで、素敵な時間になったよ

 主治医も、その後来てくれて
 姉は、父のことをそっちのけで
 甥っ子の成長のことばかり質問していた。
 主治医も嬉しそうに、自分の子供の成長のことと照らし合わせて話していた。

 父はおそらくもう、甥っ子のことも、今日私たちが訪問したことも忘れているだろうけど
 穏やかで幸せな感情はきっと残るのではないだろうか。

 もうしばらくして、安定したら、転院とか施設とか在宅とか
 今の主治医から離れる日が来るのかも。
 医者の当たり外れは大きいので
 私たちは実にラッキーであった。

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 知人(40代中半の男性)と飲んだのだ。

 んで、その日は「のりピーに逮捕状が出て、なおかつまだ出頭していない」7日の夜だったので
 飲みの最初から、のりピーの話題でもちきり。

 それはいいんだけど

 知人  「もしさあ、のりピーが家に訪ねてきて、かくまってくれって言われたらどうする?」
 シロクマ「・・・は?」
 知人  「いったんはかくまう振りして、知られないように警察にとどけるのかな?」
 シロクマ「・・・そんなシチュエーション、ありえないでしょ
 知人  「いやいや、鹿児島ってのは、いろんな人が流れてくるとこでしょ。」

 知人は冗談っぽく話をすすめているのではなく、あくまで大真面目である。

 実際、記憶喪失の人や、ホームレスの人など、流浪している人が逃れ逃れて、陸の最果て??である鹿児島で保護されたり、住み着いたりすることが多い。(経験上)

 シロクマ「・・・ですけど、のりピーは、少なくとも 〇〇さんちにはこないでしょ」
 知人 「男と一緒だったらかくまわないけど、ひとりだったらねえ・・・」
 シロクマ「それは、のりピーがかわいいからですよね」
 知人 「そうそう
 シロクマ「薬物依存でも、とりあえずかわいかったらオーケーですか?」
 知人 「だからさあ、保護して、サインとかもらって、こっそり通報とか」

 そんな妄想でワクワクしているシロクマの知人男性は、もちろん家庭があり社会的にもほどほどに立場のある、仕事のできる人です。
 
 そして、時刻はまだ外のあかるい19時ごろ、
 彼はグレープフルーツジュースを飲んでいて、完全にシラフ
 私はビールを飲んでいたのでした。

 潜伏中ののりピーに泣きつかれたら、と、エロい展開まで妄想して話ができる、すごい人です
 普段はとても固い仕事をしています。

 それはそれで、すごく感心したのでした。
 私はそんなに柔軟じゃないなあ~。
 関根勉さんとか、タモリさんは妄想が趣味らしいし、
 私も何か、妄想してみようかしら・・・

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 8月2日(日) 鹿児島県民交流センターで行われた 
 日本の古典 能・狂言 鹿児島公演に行ってきました。

 同センターには、能楽用の専用舞台があるんです。
 (その割には公演数は少ないので、税金の無駄的な感じもしないでもないが)

 私は、狂言の舞台のみ
 友人は、薪能(そのときは、お寺さんの庭だったそうだ)のみの経験だったので
 お互いに、能舞台で能を見るのは初めて。

 シロクマ 「今度、能があるみたいだけど、行く?」
 友人   「へ~、お能はみたことないや。行く~」
 シロクマ 「午前と、午後と、どっち行く?」
 友人   「演目は何?」
 シロクマ 「チラシによると 午前が 仕舞 『芭蕉』 狂言『梟山伏』 能 『巴』 午後が、仕舞『松風』 狂言『蝸牛』 能『黒塚』 だって、出演している人は、・・・・」
 友人   「あ~~、巴ってね、巴御前の話よね。木曽義仲の奥さんの、幽霊の話よ修羅物って分野ね。黒塚のほうが好きかな~個人的には、だから午後がいいね」
 
 そんな歴女な彼女なのである。
 私もよくわからないけど、狂言「蝸牛」は、古典の教科書に載ってたような気がするし。じゃあ午後の部ということで、ランチを食べてから観劇。

 能は、歴史的に「雅楽」「散楽」「猿楽」「田楽」などが、室町時代に 観阿弥・世阿弥親子によって「能」として完成され、その後足利義満に認められ大成。
 室町幕府崩壊後は、戦国・安土桃山の様々な武将に愛され保護されていきます。
 その後、江戸時代に入ると、幕府の式楽(公認音楽)となり、300年間、洗練と固定の一途をたどったそうです。
 明治以後は、公家、旧藩主などが支援。
 第二次世界大戦後から、だんだんと勢いがなくなっていった・・・といった経緯をたどっているようです

 歴女である私の友人は歌舞伎が好きなのだが、彼女によると
 歌舞伎と能は、仲が悪い。そうで
 歌舞伎は、元禄の町人文化なので、娯楽性があり、なんでもありのエンターテイメントなのだが
 能は、歴史的に常に「王室御用達」みたいな、ひとつひとつが逸脱を許さない固い演劇で、それ自体が儀式のようなので、アレンジして行うことは基本的にはないようだ。と。

 それを踏まえて。

 最初の30分は、能楽師、狂言師、お囃子さんたちによる解説。普段古典に親しんでいない私たちにはありがたいこと。

 仕舞『松風』(5分):仕舞とは、能の最後のあたりの、一番舞が派手?になる場面のところだけを演じるみたいで、「おしまい」の語源になっているみたい。
  感想:一番派手に舞っているという割には、かなりのゆっくりさ。能面は被っていないけど、まったくの無表情だし・・・早くも、眠い。

 狂言『蝸牛』(約30分):ご主人から、薬にするために藪をさがしてかたつむりを取ってこい。といわれた太郎冠者が藪の中で一眠りしている山伏を見て、主人に聞いた特徴「かたつむりは、頭が黒く、背中に貝を背負っている等」に合致するとして、山伏に「あなたはかたつむりどのではありませんか?」と声をかける。山伏が面白がって、「さよう、いかにもかたつむりじゃが・・・」とからかい続ける。というもの。
 これはかなり面白くて、会場大ウケでした。
 山伏が、ものすごく悪ノリでしつこくからかう上に、最後は「ゆるせ、ゆるせ」とひとこと言って笑いながら去っていきました。おいおい。

 能『黒塚』(約70分):
 ①山伏一行が山の中で日がくれてしまい、一夜の宿をお願いしようと民家を訪問、そこにはひとりの里女が住んでいて、はじめは断られるが、山伏たちが何度もお願いし、宿泊できることになる。里女は、糸をつむぎながら、人の身のはかなさについて、山伏たちと話す。
 ②「私の閨(寝所?)を決して除かないでください」といって薪を取りに外へ出る。その後一行のもののひとり(間狂言というらしく、ここだけがその役者さんが滑稽に芝居をする)ががまんできずに、閨をのぞくと、そこには人間の手や足が山のように積まれている。
 ③「み~た~な~」といった感じで、先ほどの里女(能面着用)が、鬼女(般若面着用)になって登場、山伏の祈祷とのバトルがくりひろげられ、最後は鬼女が、静かに去っていく。

 感想:①だけで30分くらいある。ほとんど静止画のように動きのないステージに、歌い手さんの念仏のような歌(おそらく、ストーリーを歌ってくれているのだろうけど)にお囃子さんの 「いよ~おっ カーーン!(鼓の音)」が連呼されている。
 たま~に、山伏やら里女のせりふがあるのだが、あまり聞こえない。
 なぜなら、お囃子やら「いよ~おっ!」のほうが大きいし、里女は能面を被っているので、声が通らないのである。
 その状態が続くので・・・とにかく眠い。

 あんまり眠いので周りをみわたすと、4割くらいの人がうとうとしていたので。
 お着物の奥様とかも。
 すごい入眠パワーを持ってます。

 ということで、①の時間は睡魔との闘いだったですけど、後半②は間狂言といってやや滑稽に③は立ち回りとなかなか面白く、鬼女の迫力は、ホール後方の私たちの席にも伝わってきて、近くで衣装の詳細を見たかった。
 しかし、「大立ち回り」のシーンのはずでもやはりゆっくりとした小さな動き・・・・
 高尚なんですね。

 招待されて小学生とかもたくさん来てたけど、よくがんばれるなあ。みんな。
 アラフォーにして、精一杯ですよ。ワタシ。

 その後歴女とマックでコーヒーを飲みながら
 能が意外と?エキサイティングだったこと
 他の古典芸能が、若者にブームになっていくなかで
 能はあくまで伝統の継承を取るのか、現代向けのアレンジを多少なりとも加えていくのか

 昔土7であったアニメ、「まんが日本むかし話」では
 ああいう鬼女系の話が結構あって、食われないように知恵を使って脱出して、黒い斜線で描かれた雨が降る山を一つも二つも追われながら逃げて助かる。
 小さい頃は怖くてはらはらしたなあ。
 でもあれは、老人のイメージを悪くするよね。とか
 市原悦子と、あの俳優さん(常田さん?)の二人で声優さんやってたんだよね~すごい。とか

 議論は変に脱線して、能の鑑賞は終わったのでした。
 

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 たまのブログ更新が重いテーマで、沈みまくってると思われるのもなんなんで。

 Image448.jpg
 姉の誕生日にあげたもの。

 生まれて2ヶ月の甥っ子が、たまひよのひよちゃんが好きだから。
 左上)子守唄ベストCD
 右上)たまひよ絵本 いないいないばあ
 下)  たまひよ たのしいおうたえほん

 甥っ子がだんだん、ワガママになってきた~
 



Image449.jpg このおうたえほん。
 絵本とともに、16曲もの音楽が、歌入り、カラオケで楽しめる。
 このページは、おにのパンツ
 おに~のパンツはやぶれない~~
 つよいぞ~~、つよいぞ~~
 
 ウワオ★
 しかも、16曲ともうたのお兄さん、お姉さんの本気ソングで入ってます。
 



 1880円は買いですわ~
 しかし、フニクリフニクラ だっけ、あの曲によくも「おにのパンツはやぶれない」って歌詞をあてたもんだよ。会ってみたいよ。

 甥っ子が、まだ興味ないのをいいことに
 私は、全16曲聴いて、鼻歌交じりに歌ったりして
 なんとなく、アゲアゲなんです。

 おに系やったら、みんなの歌であった「つのつの一本青鬼どん、つのつの二本赤鬼どん」って
 なんか、タンゴ系の曲あったよな~、あれが好きでした。

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 昨日、川村カオリさんが亡くなったという報道が、今日、何度か目にします。
 7歳の娘さんを残して、人生を終えることがとても悔やまれたろう。
 その報道を見ながら、私が知り合った人たちのことを思い出しました。

 以下、長文でなおかつ、川村さんとは関係のない私見です。すみません。

 10年ほど前、B型肝炎が急性増悪し、インターフェロンまで2ヶ月。
 骨折も盲腸もしたことない私にとっての、初めての入院。

 横のベッドには、Mさんという、40代の女性のかたがいて、とても親切にしてくれた。
 入院というのは、毎日生活を共にすることで
 Mさんの話、私の話、他の病室の人の話を、ありあまる時間の中でたくさん聞いた。
 Mさんは、とても明るい人だったけど、原因不明の肝炎(免疫異常系)で、気がついたときには、かなり肝硬変が進行していたらしく、初めての入院で数ヶ月。

 そのうち、Mさんの子供(小6、小4くらいの兄弟)がたずねてきた
 珍しく、しきりのカーテンを閉めての会話

 Mさん「ごめんね、おかあさんの病気が治らなくて、迷惑かけて・・・」
 Mさんの長男「ばあちゃんのところで、ちゃんといい子にしてるから、おかあさんはなんも心配せんで、ゆっくりしたらいい。僕たちは大丈夫」

 カーテン越しの会話は、みんな聞こえてしまうので
 普段明るくしている私たちも、Mさんの子と、それを聞くMさんの心情を思って泣いてしまう。

 Mさんはあとで
 2年前に、夫に女性ができて出て行ってしまったこと
 養育費も、慰謝料ももらえず、Mさんが働いて、2人の子供を育てていたこと
 仕事と子育てに懸命で、気がついたらこんなことになっていた。
 私は何も悪くないのに、どうしてこんなことになったの?
 死にたくない。
 子供の成長を見たい。
 もし、私が死んだら、家族を捨てた夫が子供たちをひきとるかもしれない
 夫を許せないので、それだけは嫌だ
 だから死ねない。
 と、言っていた。
 

 私が退院する日、Mさんは私をエレベーターまで送ってくれた。
 初めての通院の日。病棟にあがって彼女を見舞おうとしたら 
 彼女は、危篤に近かった。
 家族が集まっていた。
 「会って行ってください」という言葉に戸惑いながら
 彼女の顔を見た。

 Mさんは、私を見て、嫌そうに一瞬顔をそらして
 大粒の涙をこぼして
 それから私に向き直って、
 「幸せになんなさいね、私みたいになっちゃダメ」
 と言った。

 私はその顔を忘れられない。

 川村カオリさんの娘さん、ルチアちゃんが、強くなろうとしていたように
 Mさんの子供はおそらく今、成人前後だけど
 その後、どんなに早く大人になったんだろう。
 
 そのときの入院で仲良くなった人、Mさんを含めあと3人。
 その後の数年でみなさん、亡くなった。
 私よりひとつ年下のTくんも、4年前に亡くなった。

 仲良くとまではいかない人でも、昨日まで同じ病室にいたひとが
 数日後には死亡退院、なんていうのがある空間だった。
 大学病院とはぜんぜん違う(大学病院は末期の人はあまりいないようだ)

 そのT君も、15歳くらいで難病になり、その倍の人生を闘病してなくなった。
 学校にもろくにいけず、就職もできなかった
 恋人もできなかったし、結婚もできなかった。
 私は彼とも、いろんな話をした。でも、そんなに早くなくなるなんて思ってなかったから、なくなる前の数年は、年賀状と、たまのメールくらいだった。

 私も、中高年の人に何度か言われたことがあるのだが
 「あなたは、若いんだから大丈夫よ、私なんかもう、治らないわよ・・・」
 私も当時私が若いことは事実だったのだけど、その言葉に、違和感があった。
 そのおばちゃんが去った後に
 私より少し年上なくらいの、難病のちょい不良患者青年が
 「年寄りになるまで健康だったやつの自分勝手なコメントだよな。若いから大丈夫、なんじゃなくて、若いのになんでこんなところにいなきゃなんねーのか、ちょっと考えればわかるだろーに。」

 それは本当に的を得た意見で、幸せに年を重ねた人の、想像力の欠如
 そのとき、そのおばちゃんは、元気だった自分が病気になってそのことでいっぱいいっぱいで
 それは仕方のないことなんだけど
 ライフイベントを一通り終えて、病気になった人は、ある意味幸せなんだが。

 いや、いつ病気になったって、苦しいときは苦しいけど
 年寄りになって、病気をするのは、当たり前だと思うので。

 だから、いつか、年を取って病気になって
 入院したときに
 病気をしている若い人や、子育て世代、働き盛りの世代の患者さんを見たら
 若いから大丈夫。なんて、無神経な励ましはしないようにね。

 川村カオリさんのおかげで、思い出したくないことも含め、いろんなことを思い出した
 Mさんたちのことを思うたびに、もっとちゃんと生きなきゃと思うんだけど
 すぐに忘れて、漫然とすごしてしまうよね。


 
 

 
 

 
 

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女性
職業:
はたらいてます
趣味:
あさくせまく
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南国かごしまではたらくシロクマです。
てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
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