飛行機が無事、成田に着陸して、メールチェックをすると
「新型インフルエンザは大丈夫ですか?」
・・・??
何のこと?と思っていると、問診表は配られるし、職員はみんなマスクだしでびっくり。
旅行中は何も知らされていなかったです。
トルコのニュースでも、イラクのテロのことをやってたけど、扱いが小さかったのか気づかなかった。
何も知らなかったです。
問診表に「渡航中にメキシコ、アメリカ、カナダ人との接触はありませんでしたか?」と
・・・あんだけ、山のように観光客がいるイスタンブールをうろうろして
国際線の空港にも居たからなあ・・・・、でも誰が、アメリカ人かなんてわかんね~と思って
ためらいなく「なし」にマルをつけました。
みなさん、関東近辺の方ばかりですが、私はそこからまた、鹿児島まで帰ります・・・・。
トルコは私があこがれていたよりもずっと素晴らしく、楽しい旅だったのでした

今回、海外旅行のツアーに参加したのがそもそも初めてで、さらにひとりでした。
1月くらいまでは、海外にひとりで行くなんて、寂しすぎるぜ。と思っていた張本人なのです

多少、マニアックでも、自分の行きたい国に躊躇無くいけること。
ひとりで好きな時間にお風呂に入り、静かにゆっくり眠れること。脱ぎ散らかしても大丈夫

そんなお気楽さがありました。
初日から、母親のように世話を焼いてくれる人もいて、写真のシャッターも、最初はお願いしていましたが、だんだん、「ほら、撮ってあげるから!」と向こうから声をかけてくれるようになり、自分の写った写真も本当にたくさんになりました。
そして旅行後は、連絡先を交換して、写真を送りあったりしました。
母くらいの年代の方ばかりでしたが、本当に親切にしてもらいました

困ったり、不便だったりしたこと。
空港で、スーツケースを持ったままでは、トイレの個室に入れないときがある。(荷物ちょっとみてて!ができません)
ホテルのお部屋に入ってから、シャワーが出ないとか、スーツケースがしまらない(鍵が壊れてたから)とか、困ったことがあっても、手助けがもらえない。
自由行動の時間や夜間帯に、ひとりでうろうろするのがちょっと危ない感じがするし、語学力がないのでますますひとりは難しい。せめて英語でも話せれば・・・
団体で食事のときに、さきに座ると、他の人のバランスが悪くなるときがあり、空いた席に座るなど工夫がいる、そして相席するたびに、ちょっと気を使う。
など、まあ、もう忘れてしまったけど、こまごまと困った?こともおこる。
ツアーならではなんでしょうが、毎日のバス移動で、ものすごくうるさいおばさん4人組が、ずっと観光地や食べ物や、旦那や友達やらなんやら、大きな声であらゆることの悪口を言ってるのが耳に入ってくる。
そういう人に限って「私たち、うるさいでしょ~~、ごめんなさいね、耳、ふさいどいてよ、あっはっは。

女性は3人以上になると、本当にうるさい気がする。私はバス中で、その会話で自分のテンションが下がらないように、ipodで一生懸命、音楽を聴いていました。
「この間行ったボンベイに比べたら、たいしたこと無いわね~」とか、「さっきの味付け、何あれ、あんなくさいの食べられないわ~」「トイレが不衛生で嫌だわ、所詮はアジアよね~」とか、なんについても酷評でしたね。
んなこと言ったって、しょうがないじゃん。
それなら、日本にいたらいいのに。
違いを感じに、きたのではないのか??
しかし、ひとりなので、旅の間中、ココロの中でひとりツッコミするしかないのだ。(これもまた、不完全燃焼・・・)
その後、仲良くなった上品な奥様が、苦笑いをしながら
「私、行きの飛行機が、あの方たちの後ろの席だったの・・・13時間は辛かったわ、おしゃべりがうるさいのはお互い様なんでしょうけど、ちょっと内容が・・・」みたいな。
よかった。イライラしてるのは私だけじゃないわね。
そして私は飛行機は往復離れてたのでセーフ★げにおそろしきかな。
バス中では現地ガイドさんは、冷たい目線をなげかけつつ
「ハイ、そこの美女軍団、話を聞いてください」と何度もよびかけるのでした。
それら含めて、旅行で感じたこと。
私は仕事をやめて、父親を入院させた直後にトルコに来たので、旅を通して少し不安定でした。車窓からのトルコの景色を眺めながら、涙が出そうになることも何度もありました。
それでも、とても行ってよかった。仕事、やめてないととてもいけなかっただろうし。
自分の、行きたいところに行くことや、好きなことをすることが、とても楽しいと久しぶりに思いました。
周囲の、アラ還のメンバーさんたちは、とても元気でしたが
私がその年代になったときに、そんな風に体調も環境も整っているとは限りません。
特に、かんぞーもじんぞーも慢性に悪い私にとって
しゃきしゃき元気なみなさんの間にいることで強く感じました。
「とりあえず、できるときにやっておけ。全員に来ると思うな優雅な老後。」
あと、「あんまり興味ないけど、お金あるからきちゃった」みたいなオトナ旅行はしないほうがいい

イスラム教への偏見もなくなったし。歴史にも興味が沸いたし。
トルコの広大な土地と歴史もそうですが
大きな地球の、小さな日本に帰ってきて、私の日常があきれるほどに小さいことにも。
そしてどんな「あこがれの」土地でも、行ってみる算段を立てれば、行ける。とゆーこと。
トルコ旅行について、自分でも驚くほどの量の記事を書きました。
全部読んだという奇特な人がもしいたら、ちょっとしたガイドブックを読んだくらいの、トルコ通になっていただけたのではないかと思います。
トルコが少し好きになった。人が、何人かいるといいな。
本当にいいところです。私もまた行きたい。住んでもいいな。
ということで、ありがとうございました。

マルマラのおいしい朝食をいただきながら、外をながめると、雲が流れてどんどんと晴れ間が見えてきています

荷物やお土産をつめこんで、ガムテでしっかりとスーツケースを補強し(・・・2日目に、スーツケースの鍵壊れたって、書きましたっけ。それからずっとガムテ生活)ホテルを出発までの間は、通勤でにぎわうタクシム広場をお散歩。まだ暇そうなパトカーが少し車を寄せてのんびりと私たちをみていてくれました。
スーツケースやお土産をバスに乗せて、ホテルから徒歩すぐの路面電車乗り場へ
トラムヴァイ(路面電車)
このトラムは観光用のレトロなものですが、通常、トルコ人が通勤などで使うとラムは新型車両の近代的なもの。それもまたかっこいいです★
テュネル広場で下車後、楽器店の並ぶ通りを徒歩でガラタ塔へ
14世紀中ごろジェノヴァ人によって築かれた城壁の見張り塔
現在は、展望のほか、中はレストランとして利用されています。
真ん中の写真には、金角湾にかかるガラタ橋(・・・だと思うんですけど)
右の写真は、カモメさんと金角湾と、ブルーモスクにアヤソフィア・・・飛んでイスタンブールなお気に入りの一枚です。
その後は、世界一短い地下鉄「テュネル」に乗って、新市街側のガラタ橋のたもとカラキョイへ。
テュネルは19世紀中ごろに建設された、歴史のある地下鉄で、走行区間は、テュネル広場からカラキョイまでの1区間のみ。走行時間は約2分・・・
あまりいい写真がとれなかったのですが、この2分の区間はとても傾斜があり、地下鉄に乗っているというより、ケーブルカーで下っているような感覚でした。
カラキョイから、ガラタ橋を旧市街側に徒歩で渡ります。
釣りをしている男の人でいっぱいです。学生ほど日本人に対してミーハーではありませんが、それでも向こうもちょっと意識しています・・・
ちょうど釣り上げたダンディーなトルコのおじさん。定年後や仕事が休みの人が多いようです。
ガラタ橋を渡ったところで、バスの運転手さんが颯爽と現れ、私たちをひろってくれました

ツアーのメンバーが、あまり遅刻もせず、旅が順当に進んでいたのもあって、最終日にして観光ポイントがひとつ、追加されました。添乗員さんもトルコ9回目にしてここは初めて来た!と言っていました。
天気が良くて本当に、海面がキラキラと輝いています。
添乗員さんは、イスタンブールの素晴らしい青を見せられたことを、珍しくテンション高く喜んでいました。
左)ちょっと見えている建物は、ドルマバブチェ・ジャミイ(モスク)
右)ちょっと見えている建物は、ドルマバフチェ宮殿(1800年代後半より、トプカプ宮殿に代わって宮殿として機能し、近代化後は官邸として使われていた)
その後は、ボスフォラス海峡を貸切船クルージングです。
マルマラ海と黒海を結ぶ、全長35キロのボスフォラス海峡のうち、私たちは、第二ボスフォラス大橋まで行って帰ってきました。所要時間は約1時間。
上真ん中の写真は、先ほどのオープンカフェの近くにあった、ドルマバブチェ宮殿です。
80人乗りの船に、20数名で乗っているので、クルーズが始まってしばらくすると、オープンデッキからは人がいなくなって、みんな、風をさけてチャイを飲みながら眺めたりもしていました。
左)第一ボスフォラス大橋 1973年、この海峡にはじめてかけられた橋
右)第二ボスフォラス大橋
1988年に、日本企業も建設に参加した。ヨーロッパサイドのたもとには、ルメリ・ヒサールという1452年にメフメット2世が、コンスタンティノープル攻略のために建設した要塞がみえる。(アジアサイドにも、アナドル・ヒサールというのがある)
アジア・サイドには、欧米の有名人たちの別荘が立ち並んでいます。
本当に小さな船で、釣りをしている人たちもたくさんいます。
ホテルを出て、午前中だけで上記、イスタンブール市内観光したのに、本当にゆっくりと時間は流れているようで、充実した最終日になりました。
イスタンブールの空と海の青さがとても印象的で、みんなの祈りが通じて、最高の天気になったことがやっぱり大きい。こんなに幸せなことはないのでは、としみじみ思うのでした。
トルコのスイーツにしては、意外にも甘さ控えめ。さっぱりとしていました。(あくまでも、トルコにしては、ですが)
昼食後、バスでアタチュルク空港に向かいます。
充実しまくった旅でしたが、もう少しいたかったな。
5ユーロでラッピングサービスを受け
超、補強されて、日本へ送られたのでした。
空港で、バスの運転手さんと、熱い現地ガイドさんと握手をしてお別れ。
10日近くもいっしょにいると、寂しいものです。
17:00発のトルコ航空機で、成田へ。
Bye-bye TURKEY

というわけで、9日目終了。10日目は帰国とその後。です。
もうしばらく、おつきあいを。
8日目の昼食は、日本食で、レストラン「東京」というところで、松花堂弁当のような感じのものをいただきました。あまり期待していなかったのですが、これが、とても日本的な味付けで、久しぶりの味噌、しょうゆが、五臓六腑に染み渡るのでした。
お箸がなぜか、縦置きなのと、ご飯が妙に固いのと、緑茶がほとんど白湯だったことを除いては、日本人も大満足のお店だとおもいます。
このレストランの横には「忍者」という店もありました。う~ん、わかりやすい日本代表★
レストランにいるころから、急に曇りだし、風が強く小雨が降り始めました。
トプカプ宮殿までの快晴とは打って変わった曇天です。
午後は、軍事博物館見学&オスマントルコ音楽隊の舞台鑑賞でした。
が、
先週から続いていた建国記念のお祝いのためにオスマントルコ音楽隊が働きづめ?だったために、本日は急遽、音楽隊の演奏が中止になったということでした。
・・・そうか~、なんだかしかたないねえ。と一同。
しかし、ガイドさんは納得しない。
「日本からはるばるやってきたお客さんがいるのに、事前に予告もなく中止とは何事ですか、この人たちは明日帰るので、もう見ることができないんですよ」的なことを言っているらしい。
もちろん、相手は軍なので、そんなクレームは通らないのは承知のうえらしいのだが、ガイドさんの気質的に、正当な抗議は惜しみなく行う。外国人らしい感じだ。
私たちは軍事博物館で、大砲やら鉄砲やらだけを見学して、ホテルに帰ることにしたのだ。
この軍事博物館の、イニチェリ音楽隊は、世界最古の軍楽団だったものを復活させ、伝統的なスタイルで行っており、その演奏は勇壮そのもの・・・と、ガイドブックには書いてある。
雲行きと共に、後半にかけて続いた幸運が途絶えてしまい、ちょっと残念。
この日はもともと、その後ホテルで休んで自由行動をし、また夕方に出かけるという予定だったのだけど、休む時間が少し延長されました。
この旅で、少し疲れが出てきていた私は、イスタンブールについたころから、たびたびめまいがするようになっていて、高級ホテルのお部屋でお昼寝をしていました。
外は強風の小雨だし、イスタンブールで一番気をつけなければならないという、タクシム広場周辺の街中を、女ひとり、うろうろする勇気もなく。静養。

こういうときに、体力無いのは悔しいですね。
そして夕方、少し復活して、この旅初めてのスカートを履いて、ベルガマで購入したトルコ石のペンダントをつけて、ディナー&ベリーダンスショーへ。
ケルヴァンサライ・レストラン&ナイトクラブ
ベリーダンスの起源は古代エジプト、トルコではオスマン・トルコ帝国時代にハレムの女性たちが、スルタンの前で踊ったという。
ベリーは「おなか」という意味。
セクシーな衣装と、おなか、腰の動きはやはりすごい。
時にはヴェールを使い、クルクルと回転する、幻想的なダンスです。
日本のガイドブックでも紹介されていた、トップダンサー、アセナさんです。
海外でも活躍し、ご自分のテレビ番組などももっているそうです。
気が向いたときにしかこのステージに出演しないということでしたが、幸運にも、この日は3番目のダンサーとして、アセナさんが踊ってくれました。
なんというか・・・セクシーなんですがその動きはもう、アスリートのようですね。
「どんななっとるんじゃ」と、ぽかんと口を開けて見ておりました。さすがトップ。
ツアーメンバーの奥様方と、ビールやワインをいただきながら「なんだか、私たちと同じ人間とはおもえないわねえ」としみじみ語るのでした。この日は、トルコ最後の夜。すっかりなじみになったみなさんと、「明日晴れてほしい!」と更なるラッキー続きを期待しあったり、記念撮影をしたりして、夜はふけて行ったのです。
22時過ぎ、まだ、風が強くて小雨が降る中をホテルに戻りました。
明日は日本に帰ります。
私は、この旅行中いちども家族に連絡していなかった。
入院している父は、どうしているだろうか。
混乱して、不安で暴れてはいないだろうか。
母は、ひとりで困っているのではないだろうか。
何度もそんなことを考えたけど、心配したってトルコからでは何もかわらないので、連絡しなかった。
昨晩は見えていた、ブルーモスクもアヤソフィアも、雨でかすんでよく見えない。
私も、現実に戻らなければいけないのが怖くて
とりあえず。わ~ん。と泣いて。
泣いたら、すっきりするから、その勢いで寝たのでした。

それでは、トルコ9日目。やっと終わりが見えてきたぞ~~
旅行の4日目くらいに、添乗員さんからイスタンブールで当初予定していたホテルに泊まれなくなったとのお達しがありました。
旅行の1ヶ月くらい前にも、その前に予定していたホテルから変更がありました、と聞いていたので、なんだかごちゃごちゃしていたみたいです。旅行会社の手配ミスということになり、おかげでイスタンブールでは、追加料金なしでもうワンランク上の★ビジネスクラスツアーが使うような、高級ホテルに変更になったんです!全員マルマラ海ビューのお部屋でしかもイスタンブールはこの旅初の2連泊!!
バスの中で、テンションも超、アゲアゲ★★★★★ あんなにメンバーが一体になった瞬間はなかったのでは
旧市街中心部、タクシム広場の前にある、ホテル マルマラ。窓からは、アジアサイドに、ブルーモスク、アヤソフィアなど、また、マルマラ海を挟んでヨーロッパサイドを眺めることができます
今までのホテルとは、調度品とか、洗面所やらクローゼットの美しさが違います・・・そして、最高に、朝食がおいしいのでした。ハチミツが特に・・・うっとり。
ガイドブックによると、ツインのお部屋は370ユーロから、マルマラ海ビューのお部屋は30ユーロアップ。・・・ということは、このお部屋は、1泊400ユーロ≒48000円 に、2泊で・・・
前泊の成田では、1泊5250円(朝食付き)のお部屋に泊まった私としては、ありえな~いランクアップなのでした。
そんなセレブな宿でやっぱりひとり目を覚まし。イスタンブール2日目の観光なんです。
グランド・バザール
5000もの店がひしめきあう、巨大マーケット。まるで巨大な迷路のようです。中には交番もあるので、ちょっと安心。
前述のように、何を買うにも値段交渉!
金のアクセサリーや宝石の店などもあり、想像していたバザールよりずっと「店舗」な感じです。
この日も含めて、イスタンブールに入ってからは、ガイドさんと運転手さんの腕の見せ所って感じでした。ガイドさんは、もともとのスケジュールではなく、どんどんと組み替えて案内します。たとえば、午後になるとバザールは混むので、午前のうちに買い物をして、次のところへ・・・といった感じ。
「今朝、豪華客船が港についていた、あの何百人という団体とぶつかったら大変なことです、それを避けて動きます」と。
確かに、早朝豪華客船が着いてました。ホテルの窓から眺めていました。
そして、運転手さんは、大型バスを旧市街の混雑した路上においておけないので、観光中はしばらく離れておき、ガイドさんの合図で私たちが到着と同時にバスをその場によせ、待ち時間なしに拾って(クラクションを鳴らされながら)スマートに次に移動・・・う~ん、プロフェッショナル!
地味に、運転手さんすごいんだよね、トルコの広大な国土3000キロをひとりで運転しての、イスタンブールでの細かい職人芸に、職人好きの私としてはうっとりでした
日本語がまったくわからない方だったので、挨拶くらいしかできなかったけど。
そして、トプカプ宮殿へ
15世紀にメフメット2世によって建てられ、約370年間にわたってオスマン・トルコ帝国の歴代スルタンが生活し、政務を執り行った場所。
トプカプとは大砲の門、という意味
左)表敬の門
右)聖遺物の間入り口
ムハンマド(マホメット)の外套や剣などが展示されています。撮影禁止ですが、内部は目もくらむようなイズニックタイルで装飾されています。
宝物館には、世界で7番目に大きい86カラットの「スプーン職人のダイアモンド」
世界最大級のエメラルド3個が使われた、「トプカプの短剣」他、本物の宝石で飾られた、スルタンたちの財宝が展示されています。
しかし、ものすごい、人、人、人。何千人っているんじゃない??
次は、トプカプ宮殿のハレムです。ハレムは別料金で、ゆったりめのツアーでは観光に入っていますが、通常はカットされるようです。
ハレムはオスマン・トルコ帝国の宮廷の女性たちの居住区で、男性はスルタンと皇子、黒人の宦官以外は足を踏み入れることもできませんでした。
↑真ん中の写真の、窓にかかる格子はやはり、女性たちが逃げ出さないためのものらしいです。
イズニックタイルや、ステンドグラスがとても美しい・・・
ハレムの女性たちは1000人を超えることもあり、権力は、スルタンの母親が握っていたそうです。スルタンは女性たちの権力闘争や後継者問題などで、意外とウハウハなだけではなかったそうで・・・日本の大奥とそっくり。権力者は孤独なんですね。
タイルやガラスもチューリップ柄ですが、外も、トルコの花チューリップが満開!
というか、ギリギリ間に合った、もう終わりです!!ってとこ。
春の短いイスタンブール。チューリップが咲いているのは一年で2~3週間だそうで、ガイドさんは、私たちがイスタンブールに入るころにはとっくに散っているだろうとおもっていたらしいんだけど、寒の戻りや天候の悪さに助けられ、私たちをまっていてくれたのでした。
ラッキー★なことが重なったこの旅行。
ちょっとだけ、暗雲がたちこめる8日目②へ。
発覚以降、ずっと感じていたことなんですが、最近あんまり件数が増えているので記事にします。
私はこの3月末まで、障害者施設(市町村より委託を受けた事業所、社会福祉法人)の職員でした。
登録している障害者の方々へ、定期的にお知らせや新聞を送っていました。
それは、職員が忙しい合間を縫って、せっせと手作りしたもので
遠方でなかなか来所できない方で、楽しみにしてくれている方もいたのでした。
送付数は200弱、あとは、公的機関や関係機関などに送付するものをあわせたら発行枚数は250前後だったかと思います。
私たちはそれを、郵便局の通常郵便や、宅配業者のメール便などで送っていたのですが
障害者関係の郵便物割引が適用されるのでは、と郵便局に問い合わせたことがありました。
問い合わせの結果は、却下でした。
第三種郵便に適用されるには、いくつか条件があり、私の勤めていた障害者施設の新聞はそれにあたらないということでした。
主な理由は、一度の刊行につき500部以上の送付があるもの、といったものだったような気がしますが、それでだけではなく、複数の要件があてはまらなかったように記憶しています。
じゃあ、しかたない。と、私たちはまた、少ない予算の中から、せっせと1部80円程度の正規の料金を支払って、郵便物を送っていたのです。
そりゃ、大手の会社が出すDMは1000万部なんて単位がざらなんでしょうが
数が足りないといった、しょうもない理由で正当に使いたかった人たちは使えずに
不正の人たちだけが使えていたのには、憤りを覚えます。
これだけ連日、大手の企業の名前があがっているところをみると
きっと、ほとんどの予算が、不正分だったのではないのかと思うくらいです。
障害者の方々に、1000万部を超えて出されている刊行物なんてものがあるのかどうかはわかりませんが、厚生労働省も、郵便局だって、みんなわかってやっていたに違いない。
本当に、情けない。バカばっかりです。
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
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てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。