一隅を照らす。
チャナッカレから6時間の移動を経て、イスタンブールへ。
移動中は曇天~小雨を繰り返していましたが、イスタンブールについたとたんに快晴になりました。よかった。
それまでのトルコに見られた道のりとは違い、カラフルなマンション形式の住宅が徐々に密集し、バスの速度もだんだんと遅くなってきます。
ガイドさんからイスタンブールでの注意がありました。
これまでの、やさしくて、平和な、のんびりとしたトルコと、イスタンブールは違います。
日本と同じで、都会に行けば犯罪も多くなる
ただでさえ、ヨーロッパとアジアの交差する町だから、いろんなひとたちが流れ込んでいて、トルコ人以外の外国人で、外国人相手の悪い商売をしている人もいる。
日本からやってきて、日本人観光客相手に詐欺をやっているひともいる。
だから、みんななるべく団子になって歩いて
日本語でいろいろ話しかけられても、勝手についていかない。
何か飲まされて眠らされて、身包みはがされた、なんて観光客がたまにいます。
いいひともたくさんいるんだけど、悪いやつがいままでよりずっと多いから、自衛!!
なるほど。
1000万人以上が暮らす上に、世界から山のように観光客が訪れるイスタンブールはちょっと違う。
これまでのトルコは本当にゆるかったので、少し油断もありますから・・・
各国の観光客を乗せたバスで、旧市街中心部は渋滞。
200年ごろ建立された 古代競馬場
390年に、皇帝テオドシウス1世が、エジプトのアメン大神殿にあったオベリスクをコンスタンチノープル(イスタンブール)に運んだ。
オベリスクは紀元前15世紀のもので60mあったが
運ぶ途中に折れてしまったとかで、20mほどに。
もったいない・・・
1609年にスルタン(王様)アフメット1世が建立を命じた。世界で唯一、6本のミナレット(尖塔)をもつ。
右)ブルーモスクの内部
美しさがぜんぜん残りません・・・
私の中では、一番来てみたかった、ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ)です。
モスクの内部を青いイズニックタイルで覆われていることから、ブルーモスクと呼ばれています。
中に入って見上げると、めまいがするような大きなドームが、4つの半円のドームにかこまれていて、それらすべてにすばらしい装飾がされています。
イスラム教は、偶像崇拝を禁止しているので、チューリップやユリや果物などがタイルに描かれ、それが無数に張り巡らされています。
ステンドグラスから入る陽光がとても美しく、天井から吊り下げられているライトですら、一つの作品のように見えます。
息を呑む、といった空間は、こういうところをいうのだな。と感じるところです。
現役のモスクでもあるので、観光客とは別のところで、礼拝を繰り返している人々もいます。
上を見上げて、やたらと感動していたのに、ブルーモスクの入場時間は15分程度。
泣く泣く後にして、次に向かうのでした。
またいつか、来れるでしょうか。
ブルーモスクから、本当に徒歩すぐ、次は地下宮殿(イェレバタン・サライ)へ。
地下宮殿は、水不足の問題を解消するためにビサンチン時代に造られた地下貯水施設。
周辺にあるアヤ・ソフィアや、トプカプ宮殿のための重要な貯水施設として、6世紀に造られた。
右)メドゥーサの首
魔除けとして門柱などに据えられることが多かったらしく、この地下宮殿の魔除けとして、逆さと横向きの2本のメドゥーサの首があります。
360年、ビサンチン帝国時代にコンスタンチヌス2世によって、キリスト教会堂として建てられ、15世紀のオスマントルコ時代に、コンスタンチノープルを征服したメフメット2世により、モスクに改められ、キリスト教芸術は漆喰で塗りつぶされ、ミナレットも建てられた。
1934年、トルコ共和国となり、宗教の自由がみとめられ、アタチュルクが博物館として開放、漆喰を取り除き、キリスト教のモザイクが蘇った。
かつては、カトリックの総本山がバチカン、東方正教会の総本山がアヤソフィアであったそうだ。
アヤソフィアの正面には向かい合うようにして、ブルーモスクが建っている。
イスタンブールはほんとに、いろんなものが混在しているところです。
左)ディーシス(請願)は世界で最も素晴らしいモザイクのひとつといわれているらしい。キリストの左は、人類を救うように懇願するマリア、右はヨハネ
写真上の真ん中に少しだけ写っているのですが、キリスト教のモザイク画、ステンドグラス、ドームのところに、跡から貼り付けられたイスラム教の円盤がありました。
あとから、本で読んだところによると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は元来同じ神を信仰しているが、キリスト教がイエスを神の子として神格化していることは、他の2宗教は認めていないようで・・・むずかしいな。
その後は、エジプシャン・バザールでお買い物後
オリエント急行の終着駅で夕食を食べました。
国鉄のシルゲジ駅の構内にあります。
オリエント急行殺人事件を高校生くらいのとき読んだけど・・・かなり、ありえね~と思っていましたが。どうなんでしょ。
21時くらいに、今日最後のコーランが流れてきます。 お部屋を真っ暗にして、お部屋でコーヒーを飲みながら、飽きずにすごしていました。
・・・書くの、時間かかった~。それでは、8日目もイスタンブールです。
PR
トルコの人々は親日家だ、とガイドブックに書いてあった。
・・・けど、それは、想像をはるかに超えていたのだ。
数日前、コンヤのメブラーナ博物館を訪れたときに、それはやってきた。
中学生くらいの、少年少女たち。また、もっと小さな子たち
トルコの学生さん①「ジャポン?ジャポン?」
シロクマ「・・・あ、はい。イェス。」
学生さん①「キャア~、ジャポン!〇×▲□◎▽!!!!」
学生さん①は、大声で周囲によびかけ、数人の学生が走ってくる
学生さん②「take a picture please!!」
学生さん③「◎▽×▲!!!(私も、私も 的な感じ)」
そして、学生さんたちは、学生さん自身ののデジカメや携帯に、通りすがりのジャポン(←シロクマのことだ)とのツーショットを収めて、それを確認してさらにハイテンション!
学生さん②「ワオ~、●△◎×★!!!」
学生さん①「what your name?」
シロクマ「・・・シ、シロクマ」
学生さん①②③ 「オ~、シ~ロクマ!!」
・・・といった感じ。
こっちはもう、観光どころか、テンションの高い学生から握手を求められたり、肩を抱かれたりして写真に収まるのに忙しい。なんだ、これは・・・
ガイドさんが、建物の歴史的な解説をしているときに、服をひっぱられる
小さいトルコの子(6歳くらい?)「・・・・ジャポン?」
シロクマ「・・・(無言で、うなずく)」
トルコの子(みぶりで、写真を一緒にとって!)と、近くにいる少し大きな子供を呼んで、写真を撮らせる
並みの親日ぶりではない。
そして、7日目。いよいよ、歴史と文化が混ざり合うイスタンブールへ向かうためチャナッカレから、ダーダネルス海峡を渡り、ヨーロッパサイドへ渡る船の上でも同じようなことがあった。
・・・このフェリーの乗船時間は約1時間。
修学旅行なのか、中学生くらいの男子学生&女子学生 合計で約60~70人くらいが乗り合わせていたんだろう。
↑ シロクマたち、ジャポン観光客と写真を撮りたがるトルコの学生さんたち。
・・・たぶん。30人以上とツーショット写真を撮ったのではないだろうか。
日本にいたら、一生ないぜ、そんな大人気。
なんとなく、生まれて初めての日の丸をしょってる気がして、むげにも断れず(その辺の愛想笑いと八方美人さが、日本代表の証か★)
フェリーなので逃れることもできず、景色を楽しむ暇も無く写真に納まり続けたのでした。
8日目のトプカプ宮殿では、小学生くらいの集団にぶつかった。
そのぐらいの年の子はあまりカメラを持っていないので「コンニチワ~、コンニチワ~」と子供たちそれぞれに声をかけられ、皇族ばり微笑みを浮かべながらにその列にむかって手を振り、「こんにちわ~」と言いながら歩く。
親日家のゆえんは、ガイドさんが3日目くらいの移動日に教えてくれました。
ゆえん①:トルコのアイデンティティーはアジア、アジアの西の果てにいるのがトルコ人、東の果てにいるのが日本人、お互い端っこだけど、ルーツは一緒の兄弟だと思っている。
ゆえん②:江戸時代に、和歌山県沖でトルコの船が台風で沈没したとき、和歌山県の人たちが必死になってトルコの人たちを助けてくれたことを、いまでも学校で子供たちにつたえている
ゆえん③:歴史的にトルコを苦しめてきたロシアを、日露戦争で日本が破ったので、日本が好き。東郷平八郎にちなんで、トウゴウビールや、トウゴウストリートがまだある。
ゆえん④:トルコ建国の父、今でも大人気のアタチュルク大統領さんが、トルコを近代化するにあたって日本の明治維新に学べと言っていた。
そんな理由で、特に日本が大好き。でいてくれるんだって。
そんなこと、知らなかった私に、さらに驚きのエピソード。
エピソード①:日露戦争以降、親日度が増していたトルコは、第二次世界大戦に参加していなかったが、日本が戦争でどういう状況にあるか、当時のトルコの新聞で逐一報道されていた。
エピソード②:ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされたときは「兄弟がやられてしまった」と大々的に報じ、その後アメリカ軍がトルコにやってきたときに、トルコ人はタマゴをなげつけて抗議した。
エピソード③:湾岸戦争で、日本人ビジネスマン200人がテヘランから帰れなくなった。日本はもう迎えに行くことができなかった状態でトルコ政府は、砲弾の飛び交う中、トルコ航空の飛行機2機をテヘランまで飛ばし、イスタンブールまで保護してくれた。
エピソード③については、当時日本でも、なぜトルコは助けてくれたんだろう??と話題になったそうだ。残念ながら、湾岸戦争時シロクマはまだ中学生(年が、バレるな)だったので覚えていないけど。
トルコ人にしてみれば、歴史的にいろいろ恩があるんだもん。恩返しはあたりまえ~の感覚だったそうだ。
以上、トルコ人ガイドさんからの情報を私が記憶しただけなので、間違っているところもあるかもしれないけど、そんな風に、親日ぐあいは尋常じゃないのです。
ガイドさんによると、学生さんたちは、「ジャポンと写真をとったよ!」と、現像した写真を親や友達に自慢し、大事に飾ってくれるそうだ。世界中から観光客のやまほどくるトルコにとって、日本人は比率的には少ないので、出会えるととてもうれしいそうだ。
少し、申し訳ないことに、日本人はそんなトルコ人の思いをほとんどの人が知らずにすごしています。
トルコの人が江戸時代のことを、子供に伝えているにもかかわらず、日本人はたった20年前の湾岸戦争時に助けてもらったことだって、語り継いでいません。
トルコが、アジアの国であるということも、はっきりわかっていません。
そんなトルコ人の熱い思いを受けて、私もこうやって、トルコのすばらしさをブログで少しでも紹介できればと思って、長々と稚拙な文章を書いているのです。
誰かが読んでくれて、少しでも、トルコに興味をもってくれたら、彼らの思いの分少しでも恩返しができるかもしれません。
ただし、商売人に関しては、親日だろうがなんだろうが、とりあえず商売優先なんで、はい。
ぬるま湯日本の田舎ものは、高く売りつけられがちなので注意
*ある意味、日本人だけではなく、全ての人に高く売ろうとするのだから、平等なのか??
生まれて初めてアイドルとなって囲まれ、フェリーを含めた移動約320キロ/6時間・・・どんどん走って、念願のイスタンブールに戻ってきました★★
ああ、今日も長くなった。一日を1つの記事で書ききろうと思うのに~~~
・・・結局、7日目②へ続く!
トルコ石のお店もあるベルガマは、かつてペルガモンと呼ばれ、第二のアテネと称されるほど栄えた地。
紀元前281年、ペルガモンさんが王朝を築きました。
ペルガモン遺跡のうち、アクロポリスは高い高い、標高333mの丘の上にあるのですが、丘の斜面を利用した都市構造になっていて、大劇場は丘の斜面を観客席として、ステージは真上から見下ろすような構造になっていました。よくこんなところまで、大理石を運んだもんです・・・
右)大劇場 約1万人が収容可能。奥に広がる市街地をみていただけると、アクロポリスがとても高いところに位置しているのがわかってもらえるかと思います。
が、あったところ。
本物はドイツに略奪されて、この遺跡の重要な遺物は現在はベルリンにある「ペルガモン博物館」にあるそうです。
なかなか、返してもらえないんだって・・・
そういえば、昔、大英博物館に行ったときも、帝国主義時代の各国からの略奪物でいっぱいだったな。略奪された跡は、こんなになっているんですね。やっぱり、その土地がある程度安定していたら返してあげたらいいのにね。
ツアーメンバーには、ペルガモン博物館にいったことがあるという人もいて、まさかトルコの遺跡とは思わなかったなあ・・・と言っていました。
その後、バスにて移動、ベルガマ~トロイ 約210キロ/3時間
世界遺産 トロイ遺跡観光
ホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説上の都市とされていたトロイですが、1870年にドイツのシュリーマンが発掘した。紀元前3000ごろに最初の集落ができて、紀元400年ごろまで続いたそうな。ちなみにシュリーマンが発掘しドイツに持ち帰った財宝は、すべて消息不明になっているとか・・・
中に登って、手を振ることができます。
右)木馬の尻尾の中
トロイ戦争は紀元前1200年ごろだったそうです。
帰国後興味が沸いたので、ブラッドピット主演の「トロイ」のDVDみました。
・・・なんというか、トロイの第二王子パリス(オーランドブルーム)が、ギリシャのスパルタの王女ヘレネと恋をして、考えなしにトロイに連れ帰ったので、激昂した(そりゃ、そうだよな)スパルタ王がトロイに大軍を送り込み、難攻不落のトロイの城壁を破るために、最終的には木馬を使った・・・と。
ブラピは、スパルタ軍で飛びぬけて能力の高い戦士アキレス役、超セクシーでマッチョなボディーを披露しています。顔がブラピじゃなかったら、動きのすばらしいゴリラに見えます。
んで、案の定私はそれを自宅で見ながら、なんて迷惑なバカ王子なんだ・・・と終始あきれていたわけなんです。もうちょっとなんか、あっただろ。略奪するにしても。
略奪愛のおかげで、平和なトロイの王も、兄(第一王子)も市民も、スパルタ軍も、ガンガン死んでいきます。戦士にもみな、家族やら子供やらあるだろうに・・・と、やはり妙にハマれないわけで。
紀元前はやはり宗教の教えがまだないので、そういった抑制になるものがないのでしょうが、隣国の王女を略奪して、普通に自分の正妻に迎えられちゃったりするところがまた、すごいです。
上)トロイの遺跡たち。シュリーマンは財宝が目的でやみくもに発掘したため、遺跡をだいぶ破壊してしまい、保存状態がよくないとか
トロイ遺跡を観光後、ホテルへ
チャナッカレ コリンホテル
お部屋からのオーシャンビュー★
このあたりから、エーゲ海がマルマラ海になっていると思われます
チャナッカレは、アジアですが、対岸のガリポリ半島はヨーロッパです。
ホテルには、ハマムとマッサージなどが充実しています。
イケメンと手をつなぎながら歩きたいですね・・・うっとり。
私はひとり、近くのスーパーにトルコのビールを買いに行き、夜遅くまで、この海峡を大型タンカーが行き交ったり、ヨーロッパサイドの夜景を見ながらすごしたのでした。
明日は、いよいよヨーロッパへ渡り、イスタンブールへ★
・・・だんだん、ブログ書くテンションが続かなくなってきて、更新が遅くなりつつありますねえ~。
画像をリサイズして、ブログにアップロードするのに、結構手間がかかるんです。
つーことで、6日目。
イズミール出発
エーゲ海から昇る朝日です。
イズミールからベルガマ(ペルガモン)まで約100キロ/2時間
現地ガイドさんの話によると、イズミールは、美人がすごく多い地域。
しかし、イズミール美人は、昼前に起きて、エステや美容室に行き、旦那より遅く帰ってきて、家事はほとんどせず(ハウスキーパーさんがやる)夜中まで飲む。そして朝、旦那は奥さんを起こさないように猫のように音を立てずに仕事に行く、とか。
ガイドさんも、学生のときにそれは美しいイズミール美人とお付き合いして、3年間、せっせと尽くしたが、疲れ果てて破局したとか・・・
これまで聞いた、トルコの女性たちとは、またぜんぜん違うのである。こりゃまた極端、ほんとかよ。
だから、こんな朝日が昇るような早朝に、町をうろうろしているのは、男性かハウスキーパーさんとか、仕事をしている人であって、美人は起きていない。から、車窓からキョロキョロしても美人はみあたらないよってことでした。
トルコ建国の父、アタチュルクさんも、若いイズミール美人と結婚(再婚?)し、数年で破局。 イズミール美人との結婚生活がどんなに大変かを語ったとか、なんとか。
拝見できませんでしたが、女性の憧れですね、イズミール美人。
若干、その話題はガイドさんの八つ当たりではないのか?的な雰囲気を感じつつ、車はベルガマの、トルコ石アクセサリーのお店へ。
とっても綺麗な店舗、高級な感じですが、これまた店員全員が日本語ペラペラ
ベルガマは、金の採れるところで、トルコ石に金の細工のしてあるものや、プラチナなど、高価なものが多く、ちょっとしたお土産程度のものは全然なかった。いくつかみせてもらったけど、あの真っ青なターコイズブルーが、私の顔色にあまりあっていないような気がして、買わないつもりでいたけれど・・・
アンティークトルコという、深い地層から採れたトルコ石・・・なんというか、グリーンがややクリーム色みたいな、そんなトルコ石の小さいものに、一目ぼれ

日本語の上手な店員さん、店長さん、そしてわれらがガイドさんまでが私をはさんで、日本語での値段交渉が始まって、定価から、だいたい3割ちょっと安くなったのだ。
たとえば、この店で店員との交渉が煮詰まっての、最終段階。ガイドさんと店長さんが出てきて
店員「定価から外国人の消費税割引で〇円、さらに団体割引で〇円、日本円でこの値段です」
と、電卓で、トルコリラを円に変えた表示にて提示。
シロクマ「・・・・う~ん」
ガイドさん「お~、店長さん。この子はとっても若くて、まだ学生さんでお金がありません(←お金が無いはその通り、学生さんはハッタリ)、もう5000円まけて、この値段にしてください」
店長さん「いやいや、困ります、私たちも商売あがったりです。」
ガイドさん「いやいや、5000円引いたこの値段で決定です。でないとこの商品は買いません、わかりましたね、交渉は終了です!」
店長さん「・・・わかりました、5000円引いて、〇円にします。ガイドさんには困りましたねえ・・・」
シロクマ「・・・・。(5000円引いても私にとっちゃまだ高いのだが、もう買わないといった雰囲気ではなくなっているので固まっている)」
このやりとり、オール日本語です。唯一の日本人である私が、一番喋っていないのはどういうことかしら・・・
・・・旅を通してつくづく、トルコの定価って一体何だ??って思うのだ。
そして、みんな商売上手なトルコ人劇団(旅行会社や、ガイドさんも含めて)に、外国でひとり担がれているだけではないのか・・・

そんな気分になりながらも、なんだかんだとても気に入って、記念に購入しました。
とりあえず、日本で買ったガイドブックにものってる、正規のお店らしいし・・・物の価値は私にはわからないから、値段に納得したらそれで良いかも。
ちなみにツアーメンバーは、私の倍以上するものが飛ぶように売れていた・・・ので
値段は、石の大きさもですが、どちらかというと金やプラチナ、銀の重さで決まっていたようで、石が立派であれば高いといったもんでもなかった。
こんなんで、ひとり異国でドキドキしている、普段買い物しなれない私なのでした。
ちなみに、安く売られているトルコ石は、アフリカ産のものが多く、細かい破片をくっつけたり、染色してあるものも多いそうで・・・何を信じればよいのか、う~ん。ほんとうか?ここで売りたいだけの話では・・・??
トルコでの買い物についてですが私にとっては結構ストレス。
値札がついていないことがほとんどで、相手が言ってくる値段のだいたい7掛けくらいまで値切って初めて購入せよといったかんじ。
だから、とても時間がかかる。ぱっと見て、ちょっと買うっていうのができない。してもいいけど、日本人はたいてい高く売りつけられるだろう。
だから、同じものを、同じ値段で強気な人はたくさんもらって、弱気な人はちょっとしかもらえない・・・
そして、なぜもっと値切らなかったのか、と周囲から怒られるのである

しかし、値切ったところで、トルコ商人のほうがまだまだ上手なのでは・・・??
「値切る」っていう文化が、基本無いので(関西発ツアーは強かろうなあ・・)
はっきりいって面倒、。けど、これもシルクロードやらなんやら、交易の盛んな長い歴史に基づいた商人文化なんだろう、日本は平和だ。品質も良いし。
なんだかよくわからないけれど、何も知らない私たちは、旅行会社と、ガイドさんの話「ここは、いい原料を使ったおいしいお菓子を売ってるよ」とか「ここはカードを使っても大丈夫な店だよ」「ここの店では買っちゃだめ」をとりあえず信じるしかないのである。
そこにいくばくかの利権が発生はしていようが、まあ、大きくだまされることはないのであろう・・・
そんな、ストレスといくらかの疑念を、今後、イスタンブールのバザールでの買い物まで旅行を通じたほとんどの買い物で感じたのでした。
ということで、文字ばっかりになりましたが、6日目後半へ続く!
世界三大料理って、フランス料理、中華料理、トルコ料理、らしいんですが
どうも、トルコ料理って、なじみがないので
旅行の前に、ネットとかでご飯の評判を調べてみたら
「ぜんぜん食べられなかった」とか、「痩せて帰ってきた」とか書いてあるのが目に付いたので、スーツケースの中には、小袋のお菓子とか、ミニサイズのカップめんとか入れていったのだ。
トルコはイスラム圏なので、まず、豚肉を食べない。これは基本として、
私の知っているトルコ料理は、シシケバブと、ドンドルマ(トルコアイス)くらいであるし
昔、ロンドンに行ったときに、ご飯があわなくて、旅行の間中一番おいしかったのはケンタッキーだったといったような前歴をもつ私は、あわなくてあたりまえ~の覚悟での渡航だったのだ。
トルコでは、最初にサラダ・スープが出てきます。そしてどこで食べてもおいしいパンが!
サラダは、ルッコラやビーツなど、味や香りの強いものが入っていることが多く、ドレッシングはたいていオリーブオイル、たまにヨーグルトをかけて食べました。
スープは、結婚式のスープといわれる、トマトスープにお米やミントや赤レンズ豆入っているものが何回かでました。ポテトスープというものもありましたが、ほとんど毎食、トマト味のスープ。
旅行で食べたもの(前菜系)
右)ギョズレメ:チーズ、ほうれん草などが入った小麦粉のパイ。甘くない。
白いんげん豆を、トマトスープとオリーブオイルに浸したもの。トルコではかなり人気のある代表料理みたい。確かにおいしいけど、トマトスープのあとに、ものすごく味の似たピラキが出てくる^^
そして、おいしいけど、全部食べたらメインの前にすごいおなかいっぱいになる。
あとは、前菜の盛り合わせとして、キュウリやトマト、各種チーズがワンプレートになったものや、イカリング、シガラ・ホエイという白チーズを春巻きの皮で揚げたようなものもありました(居酒屋にありそう、おいしかった)
(メインディッシュ系)
右)ナスケバブ:油をたくさん吸ったナスの下にはケバブ(焼いた肉)。
右)黒鯛のグリル:鱒のグリルも食べた。おいしいけどそのままでは塩味すらしないので、上から塩かけて食べた。
右)牛肉のケバブ 油のぜんぜん無い部分の牛サイコロステーキみたいな・・・おいしかった。
トルコの料理は、オリーブオイルとサルチャ(トマトペーストのことを指すらしい)で味がつけてあるものが多く、全体的に赤い。
意外にも?私は、初日からもりもりと食べ、残したらもったいないかな~と思って食べていたら、さすがに旅の中半では胃が重たくなってきて。「ちょっとトマト味に飽きたなあ~」と思いながらそれでも普通に食べてた。
なんといっても、朝、昼、夜ともに、日本にいるときの倍くらいの量である・・・・
そして、この量を食べた後に、トルコの人が大好きな甘いもの、もしくはまるごとフルーツが出てくる。
女性にしては、あまり甘いものが好きじゃないほうの私なのですが、現地のものはせっかくだから現地スタイルでいただく主義。
右)名称不明。離乳食っぽい、チーズとサフランとコーンスターチ?
そのほかにも、カステラのようなものがシロップにどっぷり漬かっているものやら、真っ赤なシロップに漬かったケーキとかなんだかわからないものすごい濃いクリームの中にフレッシュなイチゴがしずんでいるものとか、甘くてこめかみのあたりがキリキリするようなデザートが満載でした。
トルコの人は、トルコ料理が大好きでほぼトルコ料理しか食べない。日本人みたいに普段からいろんなものを食べていない。
それに、広い国土を利用して、食料自給率は100% すばらしい。いつ戦争がおきてもダイジョウブ。
そして、旅行だからではなく、トルコの人は小さいころから、この量と甘さを幸せに食べ続け、エキゾチックでオリエンタルな細身の美男美女時代を超えると、どんどんと太り始め、60歳ごろには男女共に100キロ近い国民が続出。
また、一般的に女性は特に太っているほうが裕福で幸せ。+イスラム圏であるために、女性はあまり外で仕事をしないばかりか、外出もしないことが奨励されているために、とっても太る。らしい。
前述したとおりトルコは結婚が早い、が、平均寿命も60代だそうで、多くの人が糖尿病などを患っているそうです。
20歳で結婚し、子供を育て、40代でじいちゃんばあちゃんになって定年し、糖尿病になってあわてて病院や、メッカへ巡礼にいって(一生のうち一度はメッカ巡礼に行けたらいいらしい)60代で死ぬ。という、ぎゅっと凝縮された人生。(ガイドさん情報だから、極端だったらごめんなさい)
ツアーメンバーみたいに、アラ還世代で、しゃきしゃき動けて、女性同士で海外旅行にも行って・・・なんていうのは、ありえないっぽい。
しかし日本人のアッサリした薄い顔は若く見られるから、もっと若い人かと思っているのかもしれない。
ヨーグルトにハチミツとケシの実が乗っているもの。
トルコは本当に、ハチミツ、ヨーグルトが激ウマでした

ヨーグルトは、すごく濃厚でコクがあって日本のみたいにさっぱりしてない。
お隣がブルガリアであることもあってか?ヨーグルトは本当に何度も食べる機会があって、そのたびにドライフルーツや、これまたおいしいジャムや、めっちゃおいしいハチミツをかけていただきました。最高★★★
・・・まあ、なんだかんだでご想像の通り、「痩せて帰ってくる」予定の私でしたが、旅の後半は明らかに顔が大きくなっており・・・・2~3キロは平気で増量してしまった。おそるべし、トルコの食

カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 15 | |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[04/09 Michaelkego]
[02/04 シロクマ]
[02/03 はるか]
[02/03 はるか]
[11/20 シロクマ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
シロクマ
性別:
女性
職業:
はたらいてます
趣味:
あさくせまく
自己紹介:
南国かごしまではたらくシロクマです。
てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
ブログ内検索
アクセス解析
画像を食べちゃうひつじパーツ
忍者アナライズ