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一隅を照らす。
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 観にいきました。

 3年ほど前から、本は持っているのだけど、3回くらい途中で挫折してました。
 ・・・ので、結局読み終わらずでしたが、行きました。

 ダ・ヴィンチ・コードは本を読んでから観たけど、けっこう面白かった。
 本を読んでない人は、展開が速すぎてきつかったという人もいた。
 ワタシ的には、トムハンクスは仕方ないとして、オドレイ・トトゥやらジャンレノやら、脇を固める人のキャラクターが強すぎて、ストーリーに入り込めない感があったけど、なんだかんだいって、DVD持ってるし。

 天使と悪魔は、単行本3冊あるわりには、映画だけでもわかりやすかった。
 ラングドン教授の今回のパートナーのヴェットラさんも、かなり、しっくりきました。うん。しっくり。

 「反物質」とか「セルン」とかの説明が大幅に省略されていたから、その辺がしっくりこない人もいるかもしんない。本には、懇切丁寧に描写がある。読んでいても理解できないけど。

 あと、ラングドン教授はベルニーニの彫刻をたどって謎解きをするんだけど、公開直前の「世界ふしぎ発見」では、本当に、ベルニーニという人の彫刻の特異性やすばらしさが映像に表現されていて、それも楽しみで行ったんだけど、あまり映画では彫刻が写らなかったなあ~。
 イタリアでは、天使と悪魔に関連する彫刻や噴水や教会をめぐるツアーがはやっているらしい。
 
 でも、面白かったです。
 2時間半、ひたすらはらはらしっぱなしの、余計なことを考えさせないミステリーでした。
 ローマ、ヴァチカン、行きたいなあ。
 宗教的な建築物とか好きです。モスクも。
 日本では、寺より、仏像のほうが好きだけど。
 

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 おとなりの熊本県の通信制の学校に入学して、一年とちょっと。
 月イチペースでのスクーリングとレポート提出をやってきましたが
 7日で、スクーリングが終わりました。
 新幹線で通い続けて、10数回。交通費だけで10万円以上かかっているのね
 社会福祉士、試験難しいわりに、とったって、そんなに金にもならないのに
 福祉への情熱も、消えかけているというのに・・・

 周囲は、元職が看護師のケアマネさんとか、介護士でキャリアアップを図る人とか
 明らかに事務系で、管理者となるために社会福祉士が必要とか
 県職とか、福祉事務所勤務とか、そんな感じでした。

 これで、まあ、7月提出分までのレポートが不可がつかずに返ってくれば、みごと修了。社会福祉士の「受験資格」がゲットです。・・・あくまで、受験資格・・・。単位をとらんといかんかったの。経験だけではだめ。
 あとは受験に向けた勉強のみ・・・なんですがね。
 まあ、試験は1月末なんで、まだ・・・。とても集中力が続かないので
 とりあえず、7月あたりから、来年受験分の参考書とかが出だすので、それが出たらぼちぼち

 ちなみに、私が受験する回から、大幅にカリキュラムが変更されていて
 これまでの試験の体系とは、さっぱり変更になるらしく・・・
 予想問題とか、作る人もあるいみ、ばくちみたいなもんでしょうね。

 そんな参考書を買う私たち。
 
 ・・・あ~~。やる気ない。しかし、ケチな私としては、学費の30万+交通費の10万円と、教科書+これから買うだろう参考書、などもろもろで、50万円。
 その値段を念仏のように唱えながら、がんばろう。
 一回で取らないと、絶対萎えるよな~~。

 ちなみに、ケアマネのときの勉強にかかったお金は、約4万円(通信教材一式)
 桁外れ、です。はい。
 なんか意味があるんだろうか~、もうすぐアラフォーなのに~、無職なのに~。
 やる気ないのに~、実力もないのに~、求められてもいないのに~

 こうやってここに書いて、自分を追い詰めるんです。
 勉強するだけなら、福祉は結構好きです。
 実践するのは難しいです。カラダもあたまも、ついていきません。
 がくせ~のとき、ぜんぜん勉強しなかったからあ。 ツケがね。

 ちなみに、私の友人で、私といっしょに熊本に通いつめた友は
 最後のスクーリングの授業を、延々と寝続けて(ナメてた)
 授業の最後にあるテストが、記述式の難しいやつだったので、真っ青でした。
 6割切ったら、再試験なの。お金がいったはずよ。
 ちなみに、レポートが不可だと、再提出料が3000円かかるの。

 世の中、なんだかんだとちまちまと金なんです。

 とりあえず、熊本通いは終了した(はず)ので、おつかれさまだったのだ。がんばった。
 
 
 

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 飛行機が無事、成田に着陸して、メールチェックをすると
 「新型インフルエンザは大丈夫ですか?」
 ・・・??
 何のこと?と思っていると、問診表は配られるし、職員はみんなマスクだしでびっくり。
 
 旅行中は何も知らされていなかったです。
 トルコのニュースでも、イラクのテロのことをやってたけど、扱いが小さかったのか気づかなかった。
 何も知らなかったです。
 問診表に「渡航中にメキシコ、アメリカ、カナダ人との接触はありませんでしたか?」と

 ・・・あんだけ、山のように観光客がいるイスタンブールをうろうろして
 国際線の空港にも居たからなあ・・・・、でも誰が、アメリカ人かなんてわかんね~と思って
 ためらいなく「なし」にマルをつけました。
 みなさん、関東近辺の方ばかりですが、私はそこからまた、鹿児島まで帰ります・・・・。

 トルコは私があこがれていたよりもずっと素晴らしく、楽しい旅だったのでした


 今回、海外旅行のツアーに参加したのがそもそも初めてで、さらにひとりでした。
 1月くらいまでは、海外にひとりで行くなんて、寂しすぎるぜ。と思っていた張本人なのですが、やってみたらたいしたことがない。
 多少、マニアックでも、自分の行きたい国に躊躇無くいけること。
 ひとりで好きな時間にお風呂に入り、静かにゆっくり眠れること。脱ぎ散らかしても大丈夫
 そんなお気楽さがありました。

 初日から、母親のように世話を焼いてくれる人もいて、写真のシャッターも、最初はお願いしていましたが、だんだん、「ほら、撮ってあげるから!」と向こうから声をかけてくれるようになり、自分の写った写真も本当にたくさんになりました。
 そして旅行後は、連絡先を交換して、写真を送りあったりしました。
 母くらいの年代の方ばかりでしたが、本当に親切にしてもらいました

 困ったり、不便だったりしたこと。
 空港で、スーツケースを持ったままでは、トイレの個室に入れないときがある。(荷物ちょっとみてて!ができません)
 ホテルのお部屋に入ってから、シャワーが出ないとか、スーツケースがしまらない(鍵が壊れてたから)とか、困ったことがあっても、手助けがもらえない。
 自由行動の時間や夜間帯に、ひとりでうろうろするのがちょっと危ない感じがするし、語学力がないのでますますひとりは難しい。せめて英語でも話せれば・・・
 団体で食事のときに、さきに座ると、他の人のバランスが悪くなるときがあり、空いた席に座るなど工夫がいる、そして相席するたびに、ちょっと気を使う。
 
 など、まあ、もう忘れてしまったけど、こまごまと困った?こともおこる。

 ツアーならではなんでしょうが、毎日のバス移動で、ものすごくうるさいおばさん4人組が、ずっと観光地や食べ物や、旦那や友達やらなんやら、大きな声であらゆることの悪口を言ってるのが耳に入ってくる。
 そういう人に限って「私たち、うるさいでしょ~~、ごめんなさいね、耳、ふさいどいてよ、あっはっは。」って平気で言うし。ガイドさんが説明しているときも、おしゃべりをやめない。聞けよ。
 女性は3人以上になると、本当にうるさい気がする。私はバス中で、その会話で自分のテンションが下がらないように、ipodで一生懸命、音楽を聴いていました。
 「この間行ったボンベイに比べたら、たいしたこと無いわね~」とか、「さっきの味付け、何あれ、あんなくさいの食べられないわ~」「トイレが不衛生で嫌だわ、所詮はアジアよね~」とか、なんについても酷評でしたね。

 んなこと言ったって、しょうがないじゃん。
 それなら、日本にいたらいいのに。
 違いを感じに、きたのではないのか??
 しかし、ひとりなので、旅の間中、ココロの中でひとりツッコミするしかないのだ。(これもまた、不完全燃焼・・・)

 その後、仲良くなった上品な奥様が、苦笑いをしながら
 「私、行きの飛行機が、あの方たちの後ろの席だったの・・・13時間は辛かったわ、おしゃべりがうるさいのはお互い様なんでしょうけど、ちょっと内容が・・・」みたいな。
 よかった。イライラしてるのは私だけじゃないわね。
 そして私は飛行機は往復離れてたのでセーフ★げにおそろしきかな。

 バス中では現地ガイドさんは、冷たい目線をなげかけつつ
 「ハイ、そこの美女軍団、話を聞いてください」と何度もよびかけるのでした。

 それら含めて、旅行で感じたこと。

 私は仕事をやめて、父親を入院させた直後にトルコに来たので、旅を通して少し不安定でした。車窓からのトルコの景色を眺めながら、涙が出そうになることも何度もありました。
 それでも、とても行ってよかった。仕事、やめてないととてもいけなかっただろうし。

 自分の、行きたいところに行くことや、好きなことをすることが、とても楽しいと久しぶりに思いました。

 周囲の、アラ還のメンバーさんたちは、とても元気でしたが
 私がその年代になったときに、そんな風に体調も環境も整っているとは限りません。
 特に、かんぞーもじんぞーも慢性に悪い私にとって
 しゃきしゃき元気なみなさんの間にいることで強く感じました。
 「とりあえず、できるときにやっておけ。全員に来ると思うな優雅な老後。」

 あと、「あんまり興味ないけど、お金あるからきちゃった」みたいなオトナ旅行はしないほうがいい、と美女軍団から教わったし。

 イスラム教への偏見もなくなったし。歴史にも興味が沸いたし。
 トルコの広大な土地と歴史もそうですが
 大きな地球の、小さな日本に帰ってきて、私の日常があきれるほどに小さいことにも。
 そしてどんな「あこがれの」土地でも、行ってみる算段を立てれば、行ける。とゆーこと。

 トルコ旅行について、自分でも驚くほどの量の記事を書きました。
 全部読んだという奇特な人がもしいたら、ちょっとしたガイドブックを読んだくらいの、トルコ通になっていただけたのではないかと思います。

 トルコが少し好きになった。人が、何人かいるといいな。
 本当にいいところです。私もまた行きたい。住んでもいいな。
 ということで、ありがとうございました。
 

 
 
 

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 マルマラのおいしい朝食をいただきながら、外をながめると、雲が流れてどんどんと晴れ間が見えてきています
 荷物やお土産をつめこんで、ガムテでしっかりとスーツケースを補強し(・・・2日目に、スーツケースの鍵壊れたって、書きましたっけ。それからずっとガムテ生活)ホテルを出発までの間は、通勤でにぎわうタクシム広場をお散歩。まだ暇そうなパトカーが少し車を寄せてのんびりと私たちをみていてくれました。

 スーツケースやお土産をバスに乗せて、ホテルから徒歩すぐの路面電車乗り場へ

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トラムヴァイ(路面電車)
このトラムは観光用のレトロなものですが、通常、トルコ人が通勤などで使うとラムは新型車両の近代的なもの。それもまたかっこいいです★





 テュネル広場で下車後、楽器店の並ぶ通りを徒歩でガラタ塔へ
 14世紀中ごろジェノヴァ人によって築かれた城壁の見張り塔
 現在は、展望のほか、中はレストランとして利用されています。

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 真ん中の写真には、金角湾にかかるガラタ橋(・・・だと思うんですけど)
 右の写真は、カモメさんと金角湾と、ブルーモスクにアヤソフィア・・・飛んでイスタンブールなお気に入りの一枚です。
 
 その後は、世界一短い地下鉄「テュネル」に乗って、新市街側のガラタ橋のたもとカラキョイへ。
 テュネルは19世紀中ごろに建設された、歴史のある地下鉄で、走行区間は、テュネル広場からカラキョイまでの1区間のみ。走行時間は約2分・・・
 あまりいい写真がとれなかったのですが、この2分の区間はとても傾斜があり、地下鉄に乗っているというより、ケーブルカーで下っているような感覚でした。

 カラキョイから、ガラタ橋を旧市街側に徒歩で渡ります。
 
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 釣りをしている男の人でいっぱいです。学生ほど日本人に対してミーハーではありませんが、それでも向こうもちょっと意識しています・・・







 ちょうど釣り上げたダンディーなトルコのおじさん。定年後や仕事が休みの人が多いようです。
 ガラタ橋を渡ったところで、バスの運転手さんが颯爽と現れ、私たちをひろってくれました

 ツアーのメンバーが、あまり遅刻もせず、旅が順当に進んでいたのもあって、最終日にして観光ポイントがひとつ、追加されました。添乗員さんもトルコ9回目にしてここは初めて来た!と言っていました。

 
4402aa7e.jpeg22537d23.jpegボスフォラス海峡をすぐそこに望むオープンカフェでゆっくりとチャイをいただく。






天気が良くて本当に、海面がキラキラと輝いています。
添乗員さんは、イスタンブールの素晴らしい青を見せられたことを、珍しくテンション高く喜んでいました。

左)ちょっと見えている建物は、ドルマバブチェ・ジャミイ(モスク)
右)ちょっと見えている建物は、ドルマバフチェ宮殿(1800年代後半より、トプカプ宮殿に代わって宮殿として機能し、近代化後は官邸として使われていた)

その後は、ボスフォラス海峡を貸切船クルージングです。
マルマラ海と黒海を結ぶ、全長35キロのボスフォラス海峡のうち、私たちは、第二ボスフォラス大橋まで行って帰ってきました。所要時間は約1時間。
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上真ん中の写真は、先ほどのオープンカフェの近くにあった、ドルマバブチェ宮殿です。
80人乗りの船に、20数名で乗っているので、クルーズが始まってしばらくすると、オープンデッキからは人がいなくなって、みんな、風をさけてチャイを飲みながら眺めたりもしていました。


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左)第一ボスフォラス大橋 1973年、この海峡にはじめてかけられた橋
右)第二ボスフォラス大橋
1988年に、日本企業も建設に参加した。ヨーロッパサイドのたもとには、ルメリ・ヒサールという1452年にメフメット2世が、コンスタンティノープル攻略のために建設した要塞がみえる。(アジアサイドにも、アナドル・ヒサールというのがある)

アジア・サイドには、欧米の有名人たちの別荘が立ち並んでいます。
本当に小さな船で、釣りをしている人たちもたくさんいます。

 ホテルを出て、午前中だけで上記、イスタンブール市内観光したのに、本当にゆっくりと時間は流れているようで、充実した最終日になりました。
 イスタンブールの空と海の青さがとても印象的で、みんなの祈りが通じて、最高の天気になったことがやっぱり大きい。こんなに幸せなことはないのでは、としみじみ思うのでした。

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0e655b02.jpegつながり眉毛のおじさんの店で、ボスフォラス海峡の海産物を食べ、最終日のラストにようやく、ドンドルマ屋のおじさんに出会い。ぬかりなくトルコアイスをいただきました。








トルコのスイーツにしては、意外にも甘さ控えめ。さっぱりとしていました。(あくまでも、トルコにしては、ですが)

昼食後、バスでアタチュルク空港に向かいます。
充実しまくった旅でしたが、もう少しいたかったな。

7448580f.jpegそして、瀕死?の私のスーツケース
5ユーロでラッピングサービスを受け
超、補強されて、日本へ送られたのでした。







空港で、バスの運転手さんと、熱い現地ガイドさんと握手をしてお別れ。
10日近くもいっしょにいると、寂しいものです。
17:00発のトルコ航空機で、成田へ。

Bye-bye TURKEY

というわけで、9日目終了。10日目は帰国とその後。です。
もうしばらく、おつきあいを。

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 8日目の昼食は、日本食で、レストラン「東京」というところで、松花堂弁当のような感じのものをいただきました。あまり期待していなかったのですが、これが、とても日本的な味付けで、久しぶりの味噌、しょうゆが、五臓六腑に染み渡るのでした。
 お箸がなぜか、縦置きなのと、ご飯が妙に固いのと、緑茶がほとんど白湯だったことを除いては、日本人も大満足のお店だとおもいます。
 このレストランの横には「忍者」という店もありました。う~ん、わかりやすい日本代表★

 レストランにいるころから、急に曇りだし、風が強く小雨が降り始めました。
 トプカプ宮殿までの快晴とは打って変わった曇天です。

 午後は、軍事博物館見学&オスマントルコ音楽隊の舞台鑑賞でした。
 が、
 先週から続いていた建国記念のお祝いのためにオスマントルコ音楽隊が働きづめ?だったために、本日は急遽、音楽隊の演奏が中止になったということでした。
 
  ・・・そうか~、なんだかしかたないねえ。と一同。

 しかし、ガイドさんは納得しない。
 「日本からはるばるやってきたお客さんがいるのに、事前に予告もなく中止とは何事ですか、この人たちは明日帰るので、もう見ることができないんですよ」的なことを言っているらしい。
 もちろん、相手は軍なので、そんなクレームは通らないのは承知のうえらしいのだが、ガイドさんの気質的に、正当な抗議は惜しみなく行う。外国人らしい感じだ。

 私たちは軍事博物館で、大砲やら鉄砲やらだけを見学して、ホテルに帰ることにしたのだ。
 この軍事博物館の、イニチェリ音楽隊は、世界最古の軍楽団だったものを復活させ、伝統的なスタイルで行っており、その演奏は勇壮そのもの・・・と、ガイドブックには書いてある。

 雲行きと共に、後半にかけて続いた幸運が途絶えてしまい、ちょっと残念。
 この日はもともと、その後ホテルで休んで自由行動をし、また夕方に出かけるという予定だったのだけど、休む時間が少し延長されました。

 この旅で、少し疲れが出てきていた私は、イスタンブールについたころから、たびたびめまいがするようになっていて、高級ホテルのお部屋でお昼寝をしていました。
 外は強風の小雨だし、イスタンブールで一番気をつけなければならないという、タクシム広場周辺の街中を、女ひとり、うろうろする勇気もなく。静養。
 こういうときに、体力無いのは悔しいですね。
 
 そして夕方、少し復活して、この旅初めてのスカートを履いて、ベルガマで購入したトルコ石のペンダントをつけて、ディナー&ベリーダンスショーへ。

 5071d742.jpeg
ケルヴァンサライ・レストラン&ナイトクラブ
ベリーダンスの起源は古代エジプト、トルコではオスマン・トルコ帝国時代にハレムの女性たちが、スルタンの前で踊ったという。
ベリーは「おなか」という意味。





c6fe141a.jpeg暗くて激しい動きなので、こんなボケボケにしか写りませんでしたが、ベリーダンス→民族舞踊(フォークダンス的な)→ベリーといった構成で進んでいきます。
セクシーな衣装と、おなか、腰の動きはやはりすごい。
時にはヴェールを使い、クルクルと回転する、幻想的なダンスです。




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日本のガイドブックでも紹介されていた、トップダンサー、アセナさんです。
海外でも活躍し、ご自分のテレビ番組などももっているそうです。
気が向いたときにしかこのステージに出演しないということでしたが、幸運にも、この日は3番目のダンサーとして、アセナさんが踊ってくれました。
なんというか・・・セクシーなんですがその動きはもう、アスリートのようですね。
「どんななっとるんじゃ」と、ぽかんと口を開けて見ておりました。さすがトップ。






ツアーメンバーの奥様方と、ビールやワインをいただきながら「なんだか、私たちと同じ人間とはおもえないわねえ」としみじみ語るのでした。この日は、トルコ最後の夜。すっかりなじみになったみなさんと、「明日晴れてほしい!」と更なるラッキー続きを期待しあったり、記念撮影をしたりして、夜はふけて行ったのです。

22時過ぎ、まだ、風が強くて小雨が降る中をホテルに戻りました。
明日は日本に帰ります。

私は、この旅行中いちども家族に連絡していなかった。
入院している父は、どうしているだろうか。
混乱して、不安で暴れてはいないだろうか。
母は、ひとりで困っているのではないだろうか。
何度もそんなことを考えたけど、心配したってトルコからでは何もかわらないので、連絡しなかった。

昨晩は見えていた、ブルーモスクもアヤソフィアも、雨でかすんでよく見えない。
私も、現実に戻らなければいけないのが怖くて
とりあえず。わ~ん。と泣いて。
泣いたら、すっきりするから、その勢いで寝たのでした。 酒も、入ってるし。

それでは、トルコ9日目。やっと終わりが見えてきたぞ~~


 
 

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南国かごしまではたらくシロクマです。
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以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
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