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一隅を照らす。
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 トルコの人々は親日家だ、とガイドブックに書いてあった。

 ・・・けど、それは、想像をはるかに超えていたのだ。
 数日前、コンヤのメブラーナ博物館を訪れたときに、それはやってきた。
 中学生くらいの、少年少女たち。また、もっと小さな子たち
 
 トルコの学生さん①「ジャポン?ジャポン?」
 シロクマ「・・・あ、はい。イェス。」
 学生さん①「キャア~、ジャポン!〇×▲□◎▽!!!!」
 
 学生さん①は、大声で周囲によびかけ、数人の学生が走ってくる

 学生さん②「take a picture please!!」
 学生さん③「◎▽×▲!!!(私も、私も 的な感じ)」

 そして、学生さんたちは、学生さん自身ののデジカメや携帯に、通りすがりのジャポン(←シロクマのことだ)とのツーショットを収めて、それを確認してさらにハイテンション!

 学生さん②「ワオ~、●△◎×★!!!」
 学生さん①「what your name?」
  シロクマ「・・・シ、シロクマ」
 学生さん①②③ 「オ~、シ~ロクマ!!」

 ・・・といった感じ。
 こっちはもう、観光どころか、テンションの高い学生から握手を求められたり、肩を抱かれたりして写真に収まるのに忙しい。なんだ、これは・・・

 ガイドさんが、建物の歴史的な解説をしているときに、服をひっぱられる
 小さいトルコの子(6歳くらい?)「・・・・ジャポン?」
 シロクマ「・・・(無言で、うなずく)」
 トルコの子(みぶりで、写真を一緒にとって!)と、近くにいる少し大きな子供を呼んで、写真を撮らせる

 並みの親日ぶりではない。

 そして、7日目。いよいよ、歴史と文化が混ざり合うイスタンブールへ向かうためチャナッカレから、ダーダネルス海峡を渡り、ヨーロッパサイドへ渡る船の上でも同じようなことがあった。

 ・・・このフェリーの乗船時間は約1時間。
 修学旅行なのか、中学生くらいの男子学生&女子学生 合計で約60~70人くらいが乗り合わせていたんだろう。
 708fa8ff.jpeg
bcabd0c2.jpeg








↑ シロクマたち、ジャポン観光客と写真を撮りたがるトルコの学生さんたち。
・・・たぶん。30人以上とツーショット写真を撮ったのではないだろうか。
日本にいたら、一生ないぜ、そんな大人気。
なんとなく、生まれて初めての日の丸をしょってる気がして、むげにも断れず(その辺の愛想笑いと八方美人さが、日本代表の証か★)
フェリーなので逃れることもできず、景色を楽しむ暇も無く写真に納まり続けたのでした。

8日目のトプカプ宮殿では、小学生くらいの集団にぶつかった。
そのぐらいの年の子はあまりカメラを持っていないので「コンニチワ~、コンニチワ~」と子供たちそれぞれに声をかけられ、皇族ばり微笑みを浮かべながらにその列にむかって手を振り、「こんにちわ~」と言いながら歩く。

親日家のゆえんは、ガイドさんが3日目くらいの移動日に教えてくれました。

ゆえん①:トルコのアイデンティティーはアジア、アジアの西の果てにいるのがトルコ人、東の果てにいるのが日本人、お互い端っこだけど、ルーツは一緒の兄弟だと思っている。
ゆえん②:江戸時代に、和歌山県沖でトルコの船が台風で沈没したとき、和歌山県の人たちが必死になってトルコの人たちを助けてくれたことを、いまでも学校で子供たちにつたえている
ゆえん③:歴史的にトルコを苦しめてきたロシアを、日露戦争で日本が破ったので、日本が好き。東郷平八郎にちなんで、トウゴウビールや、トウゴウストリートがまだある。
ゆえん④:トルコ建国の父、今でも大人気のアタチュルク大統領さんが、トルコを近代化するにあたって日本の明治維新に学べと言っていた。

そんな理由で、特に日本が大好き。でいてくれるんだって。
そんなこと、知らなかった私に、さらに驚きのエピソード。

エピソード①:日露戦争以降、親日度が増していたトルコは、第二次世界大戦に参加していなかったが、日本が戦争でどういう状況にあるか、当時のトルコの新聞で逐一報道されていた。
エピソード②:ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされたときは「兄弟がやられてしまった」と大々的に報じ、その後アメリカ軍がトルコにやってきたときに、トルコ人はタマゴをなげつけて抗議した。
エピソード③:湾岸戦争で、日本人ビジネスマン200人がテヘランから帰れなくなった。日本はもう迎えに行くことができなかった状態でトルコ政府は、砲弾の飛び交う中、トルコ航空の飛行機2機をテヘランまで飛ばし、イスタンブールまで保護してくれた。

エピソード③については、当時日本でも、なぜトルコは助けてくれたんだろう??と話題になったそうだ。残念ながら、湾岸戦争時シロクマはまだ中学生(年が、バレるな)だったので覚えていないけど。
トルコ人にしてみれば、歴史的にいろいろ恩があるんだもん。恩返しはあたりまえ~の感覚だったそうだ。

以上、トルコ人ガイドさんからの情報を私が記憶しただけなので、間違っているところもあるかもしれないけど、そんな風に、親日ぐあいは尋常じゃないのです。

ガイドさんによると、学生さんたちは、「ジャポンと写真をとったよ!」と、現像した写真を親や友達に自慢し、大事に飾ってくれるそうだ。世界中から観光客のやまほどくるトルコにとって、日本人は比率的には少ないので、出会えるととてもうれしいそうだ。

少し、申し訳ないことに、日本人はそんなトルコ人の思いをほとんどの人が知らずにすごしています。
トルコの人が江戸時代のことを、子供に伝えているにもかかわらず、日本人はたった20年前の湾岸戦争時に助けてもらったことだって、語り継いでいません。
トルコが、アジアの国であるということも、はっきりわかっていません。
そんなトルコ人の熱い思いを受けて、私もこうやって、トルコのすばらしさをブログで少しでも紹介できればと思って、長々と稚拙な文章を書いているのです。
誰かが読んでくれて、少しでも、トルコに興味をもってくれたら、彼らの思いの分少しでも恩返しができるかもしれません。

ただし、商売人に関しては、親日だろうがなんだろうが、とりあえず商売優先なんで、はい。
ぬるま湯日本の田舎ものは、高く売りつけられがちなので注意
*ある意味、日本人だけではなく、全ての人に高く売ろうとするのだから、平等なのか??

生まれて初めてアイドルとなって囲まれ、フェリーを含めた移動約320キロ/6時間・・・どんどん走って、念願のイスタンブールに戻ってきました★★

ああ、今日も長くなった。一日を1つの記事で書ききろうと思うのに~~~
・・・結局、7日目②へ続く!

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南国かごしまではたらくシロクマです。
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以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
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