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一隅を照らす。
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 マルマラのおいしい朝食をいただきながら、外をながめると、雲が流れてどんどんと晴れ間が見えてきています
 荷物やお土産をつめこんで、ガムテでしっかりとスーツケースを補強し(・・・2日目に、スーツケースの鍵壊れたって、書きましたっけ。それからずっとガムテ生活)ホテルを出発までの間は、通勤でにぎわうタクシム広場をお散歩。まだ暇そうなパトカーが少し車を寄せてのんびりと私たちをみていてくれました。

 スーツケースやお土産をバスに乗せて、ホテルから徒歩すぐの路面電車乗り場へ

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トラムヴァイ(路面電車)
このトラムは観光用のレトロなものですが、通常、トルコ人が通勤などで使うとラムは新型車両の近代的なもの。それもまたかっこいいです★





 テュネル広場で下車後、楽器店の並ぶ通りを徒歩でガラタ塔へ
 14世紀中ごろジェノヴァ人によって築かれた城壁の見張り塔
 現在は、展望のほか、中はレストランとして利用されています。

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 真ん中の写真には、金角湾にかかるガラタ橋(・・・だと思うんですけど)
 右の写真は、カモメさんと金角湾と、ブルーモスクにアヤソフィア・・・飛んでイスタンブールなお気に入りの一枚です。
 
 その後は、世界一短い地下鉄「テュネル」に乗って、新市街側のガラタ橋のたもとカラキョイへ。
 テュネルは19世紀中ごろに建設された、歴史のある地下鉄で、走行区間は、テュネル広場からカラキョイまでの1区間のみ。走行時間は約2分・・・
 あまりいい写真がとれなかったのですが、この2分の区間はとても傾斜があり、地下鉄に乗っているというより、ケーブルカーで下っているような感覚でした。

 カラキョイから、ガラタ橋を旧市街側に徒歩で渡ります。
 
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 釣りをしている男の人でいっぱいです。学生ほど日本人に対してミーハーではありませんが、それでも向こうもちょっと意識しています・・・







 ちょうど釣り上げたダンディーなトルコのおじさん。定年後や仕事が休みの人が多いようです。
 ガラタ橋を渡ったところで、バスの運転手さんが颯爽と現れ、私たちをひろってくれました

 ツアーのメンバーが、あまり遅刻もせず、旅が順当に進んでいたのもあって、最終日にして観光ポイントがひとつ、追加されました。添乗員さんもトルコ9回目にしてここは初めて来た!と言っていました。

 
4402aa7e.jpeg22537d23.jpegボスフォラス海峡をすぐそこに望むオープンカフェでゆっくりとチャイをいただく。






天気が良くて本当に、海面がキラキラと輝いています。
添乗員さんは、イスタンブールの素晴らしい青を見せられたことを、珍しくテンション高く喜んでいました。

左)ちょっと見えている建物は、ドルマバブチェ・ジャミイ(モスク)
右)ちょっと見えている建物は、ドルマバフチェ宮殿(1800年代後半より、トプカプ宮殿に代わって宮殿として機能し、近代化後は官邸として使われていた)

その後は、ボスフォラス海峡を貸切船クルージングです。
マルマラ海と黒海を結ぶ、全長35キロのボスフォラス海峡のうち、私たちは、第二ボスフォラス大橋まで行って帰ってきました。所要時間は約1時間。
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上真ん中の写真は、先ほどのオープンカフェの近くにあった、ドルマバブチェ宮殿です。
80人乗りの船に、20数名で乗っているので、クルーズが始まってしばらくすると、オープンデッキからは人がいなくなって、みんな、風をさけてチャイを飲みながら眺めたりもしていました。


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左)第一ボスフォラス大橋 1973年、この海峡にはじめてかけられた橋
右)第二ボスフォラス大橋
1988年に、日本企業も建設に参加した。ヨーロッパサイドのたもとには、ルメリ・ヒサールという1452年にメフメット2世が、コンスタンティノープル攻略のために建設した要塞がみえる。(アジアサイドにも、アナドル・ヒサールというのがある)

アジア・サイドには、欧米の有名人たちの別荘が立ち並んでいます。
本当に小さな船で、釣りをしている人たちもたくさんいます。

 ホテルを出て、午前中だけで上記、イスタンブール市内観光したのに、本当にゆっくりと時間は流れているようで、充実した最終日になりました。
 イスタンブールの空と海の青さがとても印象的で、みんなの祈りが通じて、最高の天気になったことがやっぱり大きい。こんなに幸せなことはないのでは、としみじみ思うのでした。

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0e655b02.jpegつながり眉毛のおじさんの店で、ボスフォラス海峡の海産物を食べ、最終日のラストにようやく、ドンドルマ屋のおじさんに出会い。ぬかりなくトルコアイスをいただきました。








トルコのスイーツにしては、意外にも甘さ控えめ。さっぱりとしていました。(あくまでも、トルコにしては、ですが)

昼食後、バスでアタチュルク空港に向かいます。
充実しまくった旅でしたが、もう少しいたかったな。

7448580f.jpegそして、瀕死?の私のスーツケース
5ユーロでラッピングサービスを受け
超、補強されて、日本へ送られたのでした。







空港で、バスの運転手さんと、熱い現地ガイドさんと握手をしてお別れ。
10日近くもいっしょにいると、寂しいものです。
17:00発のトルコ航空機で、成田へ。

Bye-bye TURKEY

というわけで、9日目終了。10日目は帰国とその後。です。
もうしばらく、おつきあいを。

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 8日目の昼食は、日本食で、レストラン「東京」というところで、松花堂弁当のような感じのものをいただきました。あまり期待していなかったのですが、これが、とても日本的な味付けで、久しぶりの味噌、しょうゆが、五臓六腑に染み渡るのでした。
 お箸がなぜか、縦置きなのと、ご飯が妙に固いのと、緑茶がほとんど白湯だったことを除いては、日本人も大満足のお店だとおもいます。
 このレストランの横には「忍者」という店もありました。う~ん、わかりやすい日本代表★

 レストランにいるころから、急に曇りだし、風が強く小雨が降り始めました。
 トプカプ宮殿までの快晴とは打って変わった曇天です。

 午後は、軍事博物館見学&オスマントルコ音楽隊の舞台鑑賞でした。
 が、
 先週から続いていた建国記念のお祝いのためにオスマントルコ音楽隊が働きづめ?だったために、本日は急遽、音楽隊の演奏が中止になったということでした。
 
  ・・・そうか~、なんだかしかたないねえ。と一同。

 しかし、ガイドさんは納得しない。
 「日本からはるばるやってきたお客さんがいるのに、事前に予告もなく中止とは何事ですか、この人たちは明日帰るので、もう見ることができないんですよ」的なことを言っているらしい。
 もちろん、相手は軍なので、そんなクレームは通らないのは承知のうえらしいのだが、ガイドさんの気質的に、正当な抗議は惜しみなく行う。外国人らしい感じだ。

 私たちは軍事博物館で、大砲やら鉄砲やらだけを見学して、ホテルに帰ることにしたのだ。
 この軍事博物館の、イニチェリ音楽隊は、世界最古の軍楽団だったものを復活させ、伝統的なスタイルで行っており、その演奏は勇壮そのもの・・・と、ガイドブックには書いてある。

 雲行きと共に、後半にかけて続いた幸運が途絶えてしまい、ちょっと残念。
 この日はもともと、その後ホテルで休んで自由行動をし、また夕方に出かけるという予定だったのだけど、休む時間が少し延長されました。

 この旅で、少し疲れが出てきていた私は、イスタンブールについたころから、たびたびめまいがするようになっていて、高級ホテルのお部屋でお昼寝をしていました。
 外は強風の小雨だし、イスタンブールで一番気をつけなければならないという、タクシム広場周辺の街中を、女ひとり、うろうろする勇気もなく。静養。
 こういうときに、体力無いのは悔しいですね。
 
 そして夕方、少し復活して、この旅初めてのスカートを履いて、ベルガマで購入したトルコ石のペンダントをつけて、ディナー&ベリーダンスショーへ。

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ケルヴァンサライ・レストラン&ナイトクラブ
ベリーダンスの起源は古代エジプト、トルコではオスマン・トルコ帝国時代にハレムの女性たちが、スルタンの前で踊ったという。
ベリーは「おなか」という意味。





c6fe141a.jpeg暗くて激しい動きなので、こんなボケボケにしか写りませんでしたが、ベリーダンス→民族舞踊(フォークダンス的な)→ベリーといった構成で進んでいきます。
セクシーな衣装と、おなか、腰の動きはやはりすごい。
時にはヴェールを使い、クルクルと回転する、幻想的なダンスです。




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日本のガイドブックでも紹介されていた、トップダンサー、アセナさんです。
海外でも活躍し、ご自分のテレビ番組などももっているそうです。
気が向いたときにしかこのステージに出演しないということでしたが、幸運にも、この日は3番目のダンサーとして、アセナさんが踊ってくれました。
なんというか・・・セクシーなんですがその動きはもう、アスリートのようですね。
「どんななっとるんじゃ」と、ぽかんと口を開けて見ておりました。さすがトップ。






ツアーメンバーの奥様方と、ビールやワインをいただきながら「なんだか、私たちと同じ人間とはおもえないわねえ」としみじみ語るのでした。この日は、トルコ最後の夜。すっかりなじみになったみなさんと、「明日晴れてほしい!」と更なるラッキー続きを期待しあったり、記念撮影をしたりして、夜はふけて行ったのです。

22時過ぎ、まだ、風が強くて小雨が降る中をホテルに戻りました。
明日は日本に帰ります。

私は、この旅行中いちども家族に連絡していなかった。
入院している父は、どうしているだろうか。
混乱して、不安で暴れてはいないだろうか。
母は、ひとりで困っているのではないだろうか。
何度もそんなことを考えたけど、心配したってトルコからでは何もかわらないので、連絡しなかった。

昨晩は見えていた、ブルーモスクもアヤソフィアも、雨でかすんでよく見えない。
私も、現実に戻らなければいけないのが怖くて
とりあえず。わ~ん。と泣いて。
泣いたら、すっきりするから、その勢いで寝たのでした。 酒も、入ってるし。

それでは、トルコ9日目。やっと終わりが見えてきたぞ~~


 
 

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 旅行の4日目くらいに、添乗員さんからイスタンブールで当初予定していたホテルに泊まれなくなったとのお達しがありました。
 旅行の1ヶ月くらい前にも、その前に予定していたホテルから変更がありました、と聞いていたので、なんだかごちゃごちゃしていたみたいです。旅行会社の手配ミスということになり、おかげでイスタンブールでは、追加料金なしでもうワンランク上の★ビジネスクラスツアーが使うような、高級ホテルに変更になったんです!全員マルマラ海ビューのお部屋でしかもイスタンブールはこの旅初の2連泊!!
 バスの中で、テンションも超、アゲアゲ★★★★★ あんなにメンバーが一体になった瞬間はなかったのでは

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旧市街中心部、タクシム広場の前にある、ホテル マルマラ。窓からは、アジアサイドに、ブルーモスク、アヤソフィアなど、また、マルマラ海を挟んでヨーロッパサイドを眺めることができます
今までのホテルとは、調度品とか、洗面所やらクローゼットの美しさが違います・・・そして、最高に、朝食がおいしいのでした。ハチミツが特に・・・うっとり。




 ガイドブックによると、ツインのお部屋は370ユーロから、マルマラ海ビューのお部屋は30ユーロアップ。・・・ということは、このお部屋は、1泊400ユーロ≒48000円 に、2泊で・・・
 前泊の成田では、1泊5250円(朝食付き)のお部屋に泊まった私としては、ありえな~いランクアップなのでした。

 そんなセレブな宿でやっぱりひとり目を覚まし。イスタンブール2日目の観光なんです。
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f468d27e.jpeg グランド・バザール
 5000もの店がひしめきあう、巨大マーケット。まるで巨大な迷路のようです。中には交番もあるので、ちょっと安心。
前述のように、何を買うにも値段交渉!
 金のアクセサリーや宝石の店などもあり、想像していたバザールよりずっと「店舗」な感じです。






 この日も含めて、イスタンブールに入ってからは、ガイドさんと運転手さんの腕の見せ所って感じでした。ガイドさんは、もともとのスケジュールではなく、どんどんと組み替えて案内します。たとえば、午後になるとバザールは混むので、午前のうちに買い物をして、次のところへ・・・といった感じ。
 「今朝、豪華客船が港についていた、あの何百人という団体とぶつかったら大変なことです、それを避けて動きます」と。
 確かに、早朝豪華客船が着いてました。ホテルの窓から眺めていました。

 そして、運転手さんは、大型バスを旧市街の混雑した路上においておけないので、観光中はしばらく離れておき、ガイドさんの合図で私たちが到着と同時にバスをその場によせ、待ち時間なしに拾って(クラクションを鳴らされながら)スマートに次に移動・・・う~ん、プロフェッショナル!
 地味に、運転手さんすごいんだよね、トルコの広大な国土3000キロをひとりで運転しての、イスタンブールでの細かい職人芸に、職人好きの私としてはうっとりでした
 日本語がまったくわからない方だったので、挨拶くらいしかできなかったけど。

 そして、トプカプ宮殿へ
 15世紀にメフメット2世によって建てられ、約370年間にわたってオスマン・トルコ帝国の歴代スルタンが生活し、政務を執り行った場所。
 トプカプとは大砲の門、という意味

b338b329.jpeg27e90924.jpeg左)表敬の門
右)聖遺物の間入り口
ムハンマド(マホメット)の外套や剣などが展示されています。撮影禁止ですが、内部は目もくらむようなイズニックタイルで装飾されています。






宝物館には、世界で7番目に大きい86カラットの「スプーン職人のダイアモンド」
世界最大級のエメラルド3個が使われた、「トプカプの短剣」他、本物の宝石で飾られた、スルタンたちの財宝が展示されています。

しかし、ものすごい、人、人、人。何千人っているんじゃない??

次は、トプカプ宮殿のハレムです。ハレムは別料金で、ゆったりめのツアーでは観光に入っていますが、通常はカットされるようです。
ハレムはオスマン・トルコ帝国の宮廷の女性たちの居住区で、男性はスルタンと皇子、黒人の宦官以外は足を踏み入れることもできませんでした。

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 ↑真ん中の写真の、窓にかかる格子はやはり、女性たちが逃げ出さないためのものらしいです。
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 イズニックタイルや、ステンドグラスがとても美しい・・・
 ハレムの女性たちは1000人を超えることもあり、権力は、スルタンの母親が握っていたそうです。スルタンは女性たちの権力闘争や後継者問題などで、意外とウハウハなだけではなかったそうで・・・日本の大奥とそっくり。権力者は孤独なんですね。
 





 タイルやガラスもチューリップ柄ですが、外も、トルコの花チューリップが満開!
 というか、ギリギリ間に合った、もう終わりです!!ってとこ。


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 春の短いイスタンブール。チューリップが咲いているのは一年で2~3週間だそうで、ガイドさんは、私たちがイスタンブールに入るころにはとっくに散っているだろうとおもっていたらしいんだけど、寒の戻りや天候の悪さに助けられ、私たちをまっていてくれたのでした。

 ラッキー★なことが重なったこの旅行。
 ちょっとだけ、暗雲がたちこめる8日目②へ。


 

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チャナッカレから6時間の移動を経て、イスタンブールへ。
移動中は曇天~小雨を繰り返していましたが、イスタンブールについたとたんに快晴になりました。よかった。
それまでのトルコに見られた道のりとは違い、カラフルなマンション形式の住宅が徐々に密集し、バスの速度もだんだんと遅くなってきます。
 
ガイドさんからイスタンブールでの注意がありました。
これまでの、やさしくて、平和な、のんびりとしたトルコと、イスタンブールは違います。
日本と同じで、都会に行けば犯罪も多くなる
ただでさえ、ヨーロッパとアジアの交差する町だから、いろんなひとたちが流れ込んでいて、トルコ人以外の外国人で、外国人相手の悪い商売をしている人もいる。
日本からやってきて、日本人観光客相手に詐欺をやっているひともいる。
だから、みんななるべく団子になって歩いて
日本語でいろいろ話しかけられても、勝手についていかない。
何か飲まされて眠らされて、身包みはがされた、なんて観光客がたまにいます。
いいひともたくさんいるんだけど、悪いやつがいままでよりずっと多いから、自衛!!

なるほど。
1000万人以上が暮らす上に、世界から山のように観光客が訪れるイスタンブールはちょっと違う。
これまでのトルコは本当にゆるかったので、少し油断もありますから・・・
 
各国の観光客を乗せたバスで、旧市街中心部は渋滞。
a6d22cc3.jpegヒポドゥローム
200年ごろ建立された 古代競馬場
390年に、皇帝テオドシウス1世が、エジプトのアメン大神殿にあったオベリスクをコンスタンチノープル(イスタンブール)に運んだ。
オベリスクは紀元前15世紀のもので60mあったが
運ぶ途中に折れてしまったとかで、20mほどに。
もったいない・・・





7b955c9d.jpeg40d10d94.jpeg左)ブルーモスク
1609年にスルタン(王様)アフメット1世が建立を命じた。世界で唯一、6本のミナレット(尖塔)をもつ。
右)ブルーモスクの内部
美しさがぜんぜん残りません・・・



私の中では、一番来てみたかった、ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャミイ)です。
モスクの内部を青いイズニックタイルで覆われていることから、ブルーモスクと呼ばれています。
中に入って見上げると、めまいがするような大きなドームが、4つの半円のドームにかこまれていて、それらすべてにすばらしい装飾がされています。
イスラム教は、偶像崇拝を禁止しているので、チューリップやユリや果物などがタイルに描かれ、それが無数に張り巡らされています。
ステンドグラスから入る陽光がとても美しく、天井から吊り下げられているライトですら、一つの作品のように見えます。
息を呑む、といった空間は、こういうところをいうのだな。と感じるところです。
現役のモスクでもあるので、観光客とは別のところで、礼拝を繰り返している人々もいます。

上を見上げて、やたらと感動していたのに、ブルーモスクの入場時間は15分程度。
泣く泣く後にして、次に向かうのでした。
またいつか、来れるでしょうか。
 
ブルーモスクから、本当に徒歩すぐ、次は地下宮殿(イェレバタン・サライ)へ。
地下宮殿は、水不足の問題を解消するためにビサンチン時代に造られた地下貯水施設。
周辺にあるアヤ・ソフィアや、トプカプ宮殿のための重要な貯水施設として、6世紀に造られた。

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5717b890.jpeg 左)貯水池
 右)メドゥーサの首
魔除けとして門柱などに据えられることが多かったらしく、この地下宮殿の魔除けとして、逆さと横向きの2本のメドゥーサの首があります。






be927784.jpegアヤ・ソフィア
360年、ビサンチン帝国時代にコンスタンチヌス2世によって、キリスト教会堂として建てられ、15世紀のオスマントルコ時代に、コンスタンチノープルを征服したメフメット2世により、モスクに改められ、キリスト教芸術は漆喰で塗りつぶされ、ミナレットも建てられた。
1934年、トルコ共和国となり、宗教の自由がみとめられ、アタチュルクが博物館として開放、漆喰を取り除き、キリスト教のモザイクが蘇った。




かつては、カトリックの総本山がバチカン、東方正教会の総本山がアヤソフィアであったそうだ。
アヤソフィアの正面には向かい合うようにして、ブルーモスクが建っている。
イスタンブールはほんとに、いろんなものが混在しているところです。
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5055eca6.jpeg アヤ・ソフィアのキリスト教モザイク画たち。
 左)ディーシス(請願)は世界で最も素晴らしいモザイクのひとつといわれているらしい。キリストの左は、人類を救うように懇願するマリア、右はヨハネ






 写真上の真ん中に少しだけ写っているのですが、キリスト教のモザイク画、ステンドグラス、ドームのところに、跡から貼り付けられたイスラム教の円盤がありました。
 あとから、本で読んだところによると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は元来同じ神を信仰しているが、キリスト教がイエスを神の子として神格化していることは、他の2宗教は認めていないようで・・・むずかしいな。
 
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その後は、エジプシャン・バザールでお買い物後
オリエント急行の終着駅で夕食を食べました。
国鉄のシルゲジ駅の構内にあります。
オリエント急行殺人事件を高校生くらいのとき読んだけど・・・かなり、ありえね~と思っていましたが。どうなんでしょ。




1ad898af.jpegホテルの部屋から、ライトアップされたアヤ・ソフィアと、ブルーモスクをみることができました。ボスフォラス海峡をはさんで、アジアとヨーロッパを両方眺められます。
21時くらいに、今日最後のコーランが流れてきます。 お部屋を真っ暗にして、お部屋でコーヒーを飲みながら、飽きずにすごしていました。





 ・・・書くの、時間かかった~。それでは、8日目もイスタンブールです。

 

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 トルコの人々は親日家だ、とガイドブックに書いてあった。

 ・・・けど、それは、想像をはるかに超えていたのだ。
 数日前、コンヤのメブラーナ博物館を訪れたときに、それはやってきた。
 中学生くらいの、少年少女たち。また、もっと小さな子たち
 
 トルコの学生さん①「ジャポン?ジャポン?」
 シロクマ「・・・あ、はい。イェス。」
 学生さん①「キャア~、ジャポン!〇×▲□◎▽!!!!」
 
 学生さん①は、大声で周囲によびかけ、数人の学生が走ってくる

 学生さん②「take a picture please!!」
 学生さん③「◎▽×▲!!!(私も、私も 的な感じ)」

 そして、学生さんたちは、学生さん自身ののデジカメや携帯に、通りすがりのジャポン(←シロクマのことだ)とのツーショットを収めて、それを確認してさらにハイテンション!

 学生さん②「ワオ~、●△◎×★!!!」
 学生さん①「what your name?」
  シロクマ「・・・シ、シロクマ」
 学生さん①②③ 「オ~、シ~ロクマ!!」

 ・・・といった感じ。
 こっちはもう、観光どころか、テンションの高い学生から握手を求められたり、肩を抱かれたりして写真に収まるのに忙しい。なんだ、これは・・・

 ガイドさんが、建物の歴史的な解説をしているときに、服をひっぱられる
 小さいトルコの子(6歳くらい?)「・・・・ジャポン?」
 シロクマ「・・・(無言で、うなずく)」
 トルコの子(みぶりで、写真を一緒にとって!)と、近くにいる少し大きな子供を呼んで、写真を撮らせる

 並みの親日ぶりではない。

 そして、7日目。いよいよ、歴史と文化が混ざり合うイスタンブールへ向かうためチャナッカレから、ダーダネルス海峡を渡り、ヨーロッパサイドへ渡る船の上でも同じようなことがあった。

 ・・・このフェリーの乗船時間は約1時間。
 修学旅行なのか、中学生くらいの男子学生&女子学生 合計で約60~70人くらいが乗り合わせていたんだろう。
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↑ シロクマたち、ジャポン観光客と写真を撮りたがるトルコの学生さんたち。
・・・たぶん。30人以上とツーショット写真を撮ったのではないだろうか。
日本にいたら、一生ないぜ、そんな大人気。
なんとなく、生まれて初めての日の丸をしょってる気がして、むげにも断れず(その辺の愛想笑いと八方美人さが、日本代表の証か★)
フェリーなので逃れることもできず、景色を楽しむ暇も無く写真に納まり続けたのでした。

8日目のトプカプ宮殿では、小学生くらいの集団にぶつかった。
そのぐらいの年の子はあまりカメラを持っていないので「コンニチワ~、コンニチワ~」と子供たちそれぞれに声をかけられ、皇族ばり微笑みを浮かべながらにその列にむかって手を振り、「こんにちわ~」と言いながら歩く。

親日家のゆえんは、ガイドさんが3日目くらいの移動日に教えてくれました。

ゆえん①:トルコのアイデンティティーはアジア、アジアの西の果てにいるのがトルコ人、東の果てにいるのが日本人、お互い端っこだけど、ルーツは一緒の兄弟だと思っている。
ゆえん②:江戸時代に、和歌山県沖でトルコの船が台風で沈没したとき、和歌山県の人たちが必死になってトルコの人たちを助けてくれたことを、いまでも学校で子供たちにつたえている
ゆえん③:歴史的にトルコを苦しめてきたロシアを、日露戦争で日本が破ったので、日本が好き。東郷平八郎にちなんで、トウゴウビールや、トウゴウストリートがまだある。
ゆえん④:トルコ建国の父、今でも大人気のアタチュルク大統領さんが、トルコを近代化するにあたって日本の明治維新に学べと言っていた。

そんな理由で、特に日本が大好き。でいてくれるんだって。
そんなこと、知らなかった私に、さらに驚きのエピソード。

エピソード①:日露戦争以降、親日度が増していたトルコは、第二次世界大戦に参加していなかったが、日本が戦争でどういう状況にあるか、当時のトルコの新聞で逐一報道されていた。
エピソード②:ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされたときは「兄弟がやられてしまった」と大々的に報じ、その後アメリカ軍がトルコにやってきたときに、トルコ人はタマゴをなげつけて抗議した。
エピソード③:湾岸戦争で、日本人ビジネスマン200人がテヘランから帰れなくなった。日本はもう迎えに行くことができなかった状態でトルコ政府は、砲弾の飛び交う中、トルコ航空の飛行機2機をテヘランまで飛ばし、イスタンブールまで保護してくれた。

エピソード③については、当時日本でも、なぜトルコは助けてくれたんだろう??と話題になったそうだ。残念ながら、湾岸戦争時シロクマはまだ中学生(年が、バレるな)だったので覚えていないけど。
トルコ人にしてみれば、歴史的にいろいろ恩があるんだもん。恩返しはあたりまえ~の感覚だったそうだ。

以上、トルコ人ガイドさんからの情報を私が記憶しただけなので、間違っているところもあるかもしれないけど、そんな風に、親日ぐあいは尋常じゃないのです。

ガイドさんによると、学生さんたちは、「ジャポンと写真をとったよ!」と、現像した写真を親や友達に自慢し、大事に飾ってくれるそうだ。世界中から観光客のやまほどくるトルコにとって、日本人は比率的には少ないので、出会えるととてもうれしいそうだ。

少し、申し訳ないことに、日本人はそんなトルコ人の思いをほとんどの人が知らずにすごしています。
トルコの人が江戸時代のことを、子供に伝えているにもかかわらず、日本人はたった20年前の湾岸戦争時に助けてもらったことだって、語り継いでいません。
トルコが、アジアの国であるということも、はっきりわかっていません。
そんなトルコ人の熱い思いを受けて、私もこうやって、トルコのすばらしさをブログで少しでも紹介できればと思って、長々と稚拙な文章を書いているのです。
誰かが読んでくれて、少しでも、トルコに興味をもってくれたら、彼らの思いの分少しでも恩返しができるかもしれません。

ただし、商売人に関しては、親日だろうがなんだろうが、とりあえず商売優先なんで、はい。
ぬるま湯日本の田舎ものは、高く売りつけられがちなので注意
*ある意味、日本人だけではなく、全ての人に高く売ろうとするのだから、平等なのか??

生まれて初めてアイドルとなって囲まれ、フェリーを含めた移動約320キロ/6時間・・・どんどん走って、念願のイスタンブールに戻ってきました★★

ああ、今日も長くなった。一日を1つの記事で書ききろうと思うのに~~~
・・・結局、7日目②へ続く!

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シロクマ
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職業:
はたらいてます
趣味:
あさくせまく
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南国かごしまではたらくシロクマです。
てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
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