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一隅を照らす。
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いろいろな思いもありますが、とりあえず出張しました。1泊2日

用務先は、沖縄県、那覇空港からバスで1時間ちょっと、金武町

用務先には何度も行っていますが、今回、少し時間があったので、金武の市街地でランチ。
米軍基地のキャンプハンセン



沖縄名物タコライスはここが発祥らしいです。
私たちが普通に、タコライスだと思っているものは、タコライスチーズヤサイ600円
ということは、タコライスはタコミートだけが乗っているのか・・・?
とにかく、量が(ごはんの)多いので、3分の1は持ち帰り。
大きな折、小さめの折、輪ゴムなどが普通においてありました。


味はもちろんおいしい!
以前出張した時に、適当な店で食べたことがあったけど
ずいぶんと美味しかった気がします。
米軍基地がすぐ近くなので、アメリカ人サイズになっているのかもね。
・・・っていうかね。量の割に皿が小さいんだよね。
だから、絶対こぼれるんだけどどうにかならないもんですかね(^_^.)

その後、金武の街中?をぶらぶら。
・・・なんというか、その、場末感たっぷり。
キャバレーというか、ポールダンスが見られるような、空いているんだかしまっているんだか分からない(昼だからね)、昔ながらのお店がたくさん。
そして、タトゥー屋さん。目についただけでもこのエリアに5軒くらいは。
日本にこんなに、刺青を入れる店が堂々と看板出してる地域があろうか。(米軍基地があるとこにはあるんだろうけど。)
ちなみに、工事中の路上看板には、英語でMEN AHEAD WORKINGとか書かれている。
徐行の看板は SLOW DOWN と書かれているよ。
軍のトラックには、ごつい黒人の兄ちゃんが何人も乗っている。
沖縄は最前線。昔も今も、本土の犠牲になっている(恩恵もあろうが。)日本の平和は、沖縄の犠牲によっても成り立っているよね。

 

そして用務を終えて、那覇で夕食
いちぎん食堂とかいう、食券購入する、24時間営業の食堂で
ひとり夕食のおっさんたちに交じって、島豆腐チャンプルー、これで480円(安!)
すっごい数のメニューなんだけど、おっさんたち、結構な割合でステーキ食べてました。1200円からくらいでしょうか。(グラムによりけり)
山羊汁、沖縄そば、チャンプルー系から、オムライス、ハンバーグ、親子丼なんでもありです。材料そろえとくの大変そうです。



ホテルで一人寂しく、日本シリーズを観戦するために。シークアーサー味のポテチ。絶対はずすと確信していたら意外とイケました。

そのかわり、沖縄限定酎ハイが大外れ。(>_<)


順番が違いましたが、夜の国際通りで真っ白に燃え尽きているジョーに再会
最近の私のようだね。分かるよ、ジョー。

でもさ、5年くらい前にここで会ったときは、ゴーヤに座っていなかったよね。
何があったの?



そんなこんなで、沖縄出張、出張範囲内で問題のない行動については書きました。
その他の行動については、いつかアップします。

デジカメで撮った写真は、1枚1枚リサイズして登録しなとブログに投稿できないのです。
(Aサイドのものはすべてスマホから、その他行動はデジカメで撮ったものが多いの。)
最近、写真データがパソコンに入りすぎているからか?すぐにパソコンが固まってしまい。
この記事1本書くのに、5度くらい応答なしになったので・・・
もしかしたら無理かもしれない。うーん。

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最終日は6月1日、
 宿泊しているホテルで手に入れた、主要なお寺さんの開館、閉館時間の情報によると
 ほとんどが、9時ごろ~17時にもかかわらず
 東大寺だけは、午前7時半からあいているというので
 最終日は少し早めに宿を出て、東大寺を目指す。
 午前7時台だというのに、日差しは強く、宿からは意外と距離があり徒歩45分くらい。

 しかし、早朝であるせいか、修学旅行生も、外国人観光客も、鹿もまだ活動しておらず、ゆっくりと拝観することができるのでした。

 東大寺南大門 (国宝 鎌倉時代)にある、金剛力士像(国宝 各約8m)は、運慶、快慶らが69日間で作成したというもの、参拝者が下から見上げるときに畏怖を感じるように、頭部や肉感を強調した造形になっていると、以前テレビで見たことがあります。




南大門を抜けて、まずは大仏殿(国宝 江戸時代)へ。いい天気。


言わずと知れた、奈良の大仏様 毘廬遮那(ビルシャナ)仏です。(国宝 奈良時代 座高は約15メートル)
聖武天皇が、国家鎮守のために、当時の国民を総動員して作成に至った経緯については、平城遷都1300年の年にNHkでやっていたドラマでみました。(あくまでドラマですが、私の中ではあの配役を当てはめているので、たとえば興福寺を創建した藤原不比等は高橋克典だし、大仏創建に大きくかかわりながら大宰府に流された僧玄昉は市川猿之助なのです。)

それはそうとして、なぜか、大仏殿の中だけは撮影可能なのが、いつも不思議です。国宝だの重文だのっていう仏様は、ほとんどが撮影禁止だから。



大仏殿には、外にも何体かの大きな仏様が、大仏様の周囲を取り囲んでいます。
有名な?願いがかなうという柱の穴も、まだ人出が少ない時間帯で誰もくぐってはいませんでしたが、絶対に詰まる感じがしましたし、一人旅でハマってしまうのもシャレにならないのでチャレンジしませんでした。

その後、法華堂(三月堂)へ、法華堂はそれ自体が、さらに拝観料を500円払わなければならない・・・のですが、それはそれで、すごい仏像ゾーンとなっています。
法華堂自体は国宝であり、奈良時代のものですが、最近になって改修工事が行われたそう。それまで、本尊の不空羂索観音立像を中心に、合計16体の仏像(うち12体が国宝、4体が重文、14体が天平時代の作)が立ち並んでいましたが、管理上の理由があり、日光・月光菩薩などが、東大寺ミュージアムのほうに移されているそうです。

本来ならば、堂内で管理したいのだが、気温や湿度の管理、また、どうしても入り込む虫から受ける被害、万が一の災害からの被害を防ぐために、ミュージアムで管理せざるを得ない。というふうに、職員の方が離されていました。

その後、三月堂を経て、正倉院を横目に東大寺ミュージアムへ、ミュージアムは午前9時半からです。
平成23年10月に開館したという東大寺ミュージアム。なるほど、前回来たときは確かになかった。法華堂の日光・月光菩薩(国宝 奈良時代)や、四月堂の千手観音立像(平安時代 重文)が、空調の整ったスタイリッシュな空間に、ほのかなライトを浴びて、鎮座しています。

ミュージアムショップで、東大寺グッズをいくつか入手して外に出ると、もう、団体用の大きなバスがいくつも到着して、鹿せんべいを手に鹿に追われる修学旅行生が黄色い悲鳴をあげ(いや、せんべいを離せばいいんじゃ・・・)
日曜だということもあってか、何かてんやわんやになっている。
世界遺産になることはいいことなんでしょうが、なんだかすごいやかましい。
東大寺には、早朝に行くことをお勧めします。

そこから徒歩で、実は今回の旅の『最初の』目的地 奈良国立博物館へ。


  実は、奈良行を決断させたポイント1は、吉野の金峯山寺蔵王権現の特別公開
 ポイント2は、奈良国立博物館の、『なら仏像館』が、9月の初めから、改装のために長期閉館してしまうことを知ったからです。その前に、行きたいなあと思って。

 今回は、特別展として、『武家のみやこ 鎌倉の仏像展』をやっていました。この日が最終日(だったと思う)なので、両方見られるチケットを1300円で購入。
 特別展は主に神奈川県から(鎌倉の・・・だから、当たり前か)やってきた鎌倉仏たち、もちろん、飛鳥奈良時代のものとは、だいぶ時代も違うこともあるし、ダイナミックな表現のものが多く保存状態比較的良い。
 関東のほうの仏像にちょっとうといところもありますが、普段は鎌倉国宝館にいらっしゃる十二神将が勢ぞろいだったり、『仏像ワンダーランド 鎌倉・東京編』の表紙になっている、東慶寺の水月観音菩薩半跏像も出張なさっていたりして・・・
 そう思って、今、『仏像ワンダー・・・』を再度開いてみると、掲載されている仏様がだいぶいらしてたんですね・・・予習してからいけばよかったです。これから復習します(汗)

 その後、なら仏像館へ。建物自体は離れているのですが、地下通路でつながっています。
 休憩もかねて、ミュージアムカフェで昼食をとったのですが
 ・・・・高い。そして味はビミョウ。雰囲気はさすがに良かったですが。
 一番安いぶっかけそば系のもので、1000円くらい。あったかいうどんと小さいちらしずしの炭水化物セットが1500円くらいした。

 さあ、なら仏像館
 13室の会場、ほぼすべての展示物が仏さまという、まさにワンダーランドです。
 第一室だけで17体、配置の仕方がカッコイイです。
 そして、今回の旅からやむなく外した 室生寺(仙台で行われる室生寺展のために、仏さまが出張準備中のため、がんばって行っても拝観できないらしいので泣く泣く除外)の十二神将のうち2体が、なぜかありました。
 しかも、雑誌でよく見る未神ではないですか。
 しばし呆然としながら、未神のそばをウロウロ・・・・

 
 石仏や金銅仏、仮面や動物彫刻、大小合わせて合計約100体の像のあいだを
 あっちこっちと移動して思う。

 博物館は、(興福寺国宝館や東大寺ミュージアムでもそうだったけど)安置されていたお堂で管理できなくなったものや、長期間の保存のためには適しているし
 私たちも空調の整った、適度な距離で仏さまと触れ合えるのに適している。

 だけど、博物館にいる仏さまに、手を合わせる人はいない。
 線香もあげないし(管理上だめでしょうし)祈りをささげることもない。

 信仰の対象から、鑑賞するものになってしまう。
 それは仏さまにとって、この上なく残念なことでは?
 一抹の寂しさも感じつつ
 ~1300年、人類が守ってきたものを守り続けるためには
 やはり仕方がないのかな。とも思いつつ・・・

 外に出ると、灼熱の34℃、鹿もたまらず水の中です。
 
  

 JR京都駅まで徒歩で戻り・・・
 大仏プリン1個、自分のために購入して栄養補給
 かわいい・・・そして『大和茶』味を選択したせいか、甘さ控えめ。ぺろり。



 帰りの飛行機に乗るために、バスに乗ったのでした。(ちなみに、バス停から乗車券を買うところがめっちゃ遠くてびっくりしました。時間ギリギリに行ったら買いに行けませんよ。)

 伊丹空港でお好み焼き食べようと思ってたら、大行列で断念。

 自宅には21時ごろ帰宅しました。

 あとからカウントしましたら、御朱印だけで6000円(300円×20)使っているという。
 強行軍の大和路でした。
 まあ、ひとりの時はムリをするものです。

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ひとり大和路、5月31日だというのに、本日も33℃くらいある。

 JR奈良駅近くのビジネスホテルから、徒歩で近鉄奈良駅へ
 約5分で大和西大寺駅
 そこからすぐに、西大寺があります。

 東大寺、はよく行きますが、そう、西大寺。奈良時代に建立された平城京の西を守護する寺なんだそうです。
 残念ながら、スマホで写真を撮らなかったので、アップしませんが、1万坪の敷地を持つ、立派なお寺さんですよ。かつては20数万坪あったらしいです。
 まずは、四王堂というところに入ったのですが、そこのおじさん(職員さん)が、約40分くらい、マンツーマンでお寺のゆかりや、仏像の説明をしてくれました。
 四王堂に奉られているのは、6メーターほどある大きな十一面観音立像(長谷寺式)藤原時代?
 京都の法勝寺のお堂が倒壊?(焼失?)かなんかしたので、西大寺で管理するようになったそう。長谷寺式というのは、奈良の長谷寺、鎌倉の長谷寺に共通する観音様の形で
 右手に錫杖、左手に花瓶を掲げているのです。
 このお堂のもともとの本尊は、この観音様の左右に配置されている四天王像らしいのですが
 その足元に踏まれている邪鬼2体が重要文化財、天平時代のものだそうで
 上に居る増長天だの、持国天だのは、火災で焼けて再建されたものなのだそうです。
 いくたびかの火災にあっても、焼失をまぬかれてきたのが、邪鬼だということに
 卑しめられるものの生命力の強さを感じずにはいられないのでした。

 また、本堂には清凉寺式の阿弥陀如来像(本尊)平安時代作の吉祥天像、文殊菩薩五尊像などがあります。
 私は、この獅子の上に座す切れ長の目の菩薩様のお姿にほれぼれとしておりました。文殊菩薩をとりまいている財善童子像のように、ぴゅあーでアツイ視線を送っておったのです。

 愛染堂の愛染明王さまは、残念ながら模造のみ拝観、小さい像で、赤い体、三眼六ぴの憤怒相。理屈では割り切れない愛や欲に負けてしまう弱い私たちを、そのまま救済してくれるという、愛の仏様です。いつか公開期間にまた行きたいと思います。

 西大寺のことは、ネットの『みうらじゅんの仏像探訪記』でも動画で確認することができます。
 
 
 そして、西大寺から徒歩20分。午前10時過ぎ・・・とはいっても灼熱の33℃、熱中症には要注意です。次は、秋篠寺、これも写真がなくてごめんなさい。

 秋篠寺は、平城宮の乾の方角に建てられたもので、創建は8世紀ごろ
 現在の本堂は鎌倉時代に再建されたもので、中央に薬師如来像、両脇に日光・月光菩薩像、そのまた両脇に十二神将像、さらに脇に・・・という風に並んでいます。

 センターからはかなり遠い位置にいらっしゃいますが、ちょっと有名で、この寺の目玉となっている(東洋のミューズ、とか呼ばれる)伝伎芸天立像。
 元はヒンドゥー教のシヴァ神から生まれた絶世の美女が仏教に帰依した姿。しなやかな肢体と、柔らかなほほえみは、確かにほかの仏さまとは違った、体温のようなものを感じられる像なのでした。

 さあ、秋篠寺から同じ道を20分引き返し近鉄電車に乗って、近鉄奈良駅へ。

 近鉄奈良駅から徒歩5~6分?
 関西に住んでる知人から紹介してもらった、数少ない『奈良で食べるべきもの。』
 巾着きつね

 
 
 
 




 ↑もち巾着とかはあるけど、きつねうどんもあるけど、この発想はなかった。
 しかも、だいぶ大量の、くたくたな麺があふれ出るさまは、なんだか怖さを感じるほど。
 ゆるキャラの、うどん脳を思いながら食べました。
 お味は、う~ん。想像どおりというか。
 コシのある麺が好きです。
 巾着きつねカレーもあるみたいでした。(カレーうどんスープになってる。)

 さあ、腹ごしらえ+熱中症対策の塩分補給をしたので、
 バス停に戻るのも面倒なので、え~い、歩いてやれ。
 このうどん屋からは、徒歩、30分ちょっと??くらいか
 日焼け止めを塗り直し、日傘をさして、水分取りつつ、

 新薬師寺!


 奈良時代に建立された本堂
 中央須弥壇に本尊の薬師如来坐像(国宝 平安時代、191cm)、そして眷属の十二神将像(11体が国宝 平安時代 150~165cm)が、周囲を360度取り囲むようにして配置されています。

 薬師如来さまは、写真で見ると何というか親しみやすいお顔をしているのですが、実際はとても荘厳でした。光背には化仏が6体
 十二神将像は、その配置の影響もあるのでしょうが、これまで見たものより、ずっと、ガードマン的な役割を果たしているようで、強くたくましいカンジ
 時代が古いので、外見的にはボロボロ(鎌倉時代のものとかに比べてということ)ですが
 各像の表情もポーズも実に個性的で、1200年?も前の人が作ったとは思えない、現代のアニメやフィギュアに通じる、日本人の造形力だと思います。

 なので、私はこの空間をぐるぐると、3週も4週もして、自分の干支に属する神将さまにろうそくを備えたりして、外の暑さをしのいだのでした。

 お堂全体を使って、円形に仏様を配置しているという空間の使い方が、とてもいいですね。

 さて、新薬師寺を出て、予定になかった春日大社に。なぜなら、近かったので。

 






 春日大社を参拝して、参道を下ると、興福寺。ここは4年ぶりくらい
 すでに午後4時過ぎ、参拝は5時までなので急がなくては。


 興福寺の創建は7~8世紀
 修学旅行生や外国人観光客も満載のメジャーな世界遺産
 これまで(新薬師寺)までとは趣が異なります
 熱中症だと思いますが、救急車がせわしく出ていく中
 まずは、宝物殿へ行き、国宝、重文満載の仏様たちを『鑑賞』
 ここには、有名な阿修羅像(国宝 奈良時代)もですが、私の好きな 天燈鬼、龍燈鬼像(国宝 鎌倉時代)金剛力士立像(国宝 鎌倉時代)迦楼羅像(国宝 奈良時代)などなど
 挙げればきりがないほどの仏さまが満載なのです。
 特に、天燈鬼たちは、邪鬼であるにも関わらず、踏まれていない(単独の像である)どころか、なんと国宝にまで出世しているかと思うと、愛おしいとしかいいようがありません。また来たよ!ってカンジ。

 おかげで、そのあと参拝した東金堂の記憶があんまりない・・・外国人観光客の人が、無断で仏様の写真を撮っていたことだけが記憶にあります。

 北円堂、南円堂などは非公開の時期でしたので、2日目はここで午後5時を迎え
 お寺巡りは終了したのでした。
 ホテルまでは、・・・徒歩30分か??ヨロヨロになりながら、宿を目指すのでした。

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5月30日から6月1日まで、ひとり旅に出かけました。
 2週間ほど前に、急に思い立ち
 ネットで検索して、航空券と宿を確保。

 まず、伊丹空港からバスに乗って、天王寺で降り、あべのハルカスをちらりと見上げる。


 
 ハルカスに近いところに降りたので、見上げると首が痛い。
 展望デッキに登るための行列の最後尾を追い抜いて、大阪阿部野橋駅へ
 吉野行き、特急列車に乗車。
 2両編成なのに、1両は喫煙(いまどき!)
 全席指定、というのに、販売窓口がなく、スイカで入っていたら
 車掌さんが、指定料金を徴収にきた
 「全席指定ですが、空いているところにすわってください。」
 ・・・?どういうこと??
 よくわからないが、私の乗っている車両に、客はほかに2名しかいないので、そのままま座っとく。

 特急というには、かなり鈍足な感じもしますが、車窓の田園風景を楽しみながら(九州と変わらんな・・・)1時間15分ほどで、近鉄吉野駅に下車
 徒歩で、吉野山ロープウェーに乗車、日本人がやっていることなので、信用してはいますが、かなり年期が入っています。
 高所恐怖症の人にはたまらないカンジです。がくん。ってします。


 ロープウエーを降りて、徒歩10分くらい?
 世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)の一部 金峯山寺(きんぷせんじ)
 7世紀、修験道の開祖 役行者(えんのぎょうしゃ)が開設
 


 ↓が、蔵王堂(本堂)本尊蔵王権現三体の他の尊像を安置
 本尊がとても大きいので、蔵王堂もビッグです。
 幾度か、焼失と再建を繰り返しているので、柱の木材の種類が統一されておらず
 太さもまちまちだったり、面取りがされていなかったりするそうです。

 


 まあ、もちろん、堂内の撮影は禁止なのです。
 


 ↑ これ狙いできてみました。
 4年間の片思いの末、でございます。
 10年間限定で、毎年一定期間の秘仏公開をするとか。
 


 霊験あらたかで、基本秘仏のご本尊にもかかわらず、お寺さんはこんなポップな感じでお出迎え。この特別参拝の入場料で、仁王門の建て替えをしたいみたいです。

 金剛蔵王権現像は、中央が釈迦如来(過去、7.3メートル)右側が観音菩薩(現在、6.1メートル)左側が弥勒菩薩(未来、5、9メートル)が弱い私たちに喝を入れるべく、権(仮り)に現れたお姿です。
 安土・桃山時代に現在の蔵王堂ができたときに作られたようです。
 大きくて、青くて、髪は逆立ち、牙のようなものが出ていて、炎をまとっています。おまけに片足を振り上げて、踏みつぶさんばかりのいでたちの巨像が、3体並んでいるお姿は、圧巻です。
 
 本堂の畳に座ってお参りするのはもちろん、もっと近い距離、須弥壇のすぐ近くに『発露(ほつろ)の間』という、腰の高さくらいまでの障子で区切った、独りで参拝できるスペースがあり
 狭い空間で、1対1で、権現様と対峙することができました。
 これは、なかなか。すばらしいお気遣い(演出?)で
 ひとりになったとたんに、思うところがたくさんあるものです。

 発露の間を担当しているお寺さんの職員の方は、特に時間制限も設けず、『ゆっくりお参りください。』とだけ、にっこりと笑って案内してくれます。
 あとにたくさんの人が並んでいるとかでなければ、長い時間、権現様の足元近くでその時間を満喫することができるのです。
 私は、最初、中央の権現さんの足元に、そのあと、しばらくして、『もう一回いいですか?』と左側の権現さんの足元の間に入れてもらいました。

 鹿児島くんだりから行った甲斐があるというものですが
 そもそも、昔は修験道の修業の地、このお寺にたどり着くまで10日は掛けていたとか。(その間に、権現様の前に座すのにふさわしいクリーンな体になってもいたようです。)でも、それでも秘仏ですから本尊を参拝することはできなかったでしょう。

 飛行機と電車とロープウエーで、俗世感ありありで気軽にやってきて申し訳ないくらいです。

 
 ↓こちらも世界遺産の一部、吉水神社です。こじんまりとして、静謐な神社
 後醍醐天皇がご祭神です。
 
 
 
 


 南北朝時代、後醍醐天皇がここを南朝の皇居にした初期書院造の建物が公開されています。
 中には、後醍醐天皇の玉座(?)の間があります。皇居というにはあまりに質素ですが。

 また、源義経が逃走中、ここに隠れており
 女人禁制のお山を越えて逃げるため、静御前とここで別れたという場所だとか
 建物の中には、義経の鎧、弁慶のやりなどが残されています。
 歌舞伎の『義経千本桜』の舞台となっているようです。
 ちなみに、この、吉水神社の近くに、勝手神社という、狛犬と門だけが残っている神社跡があります。
 そこは、静御前が捕らわれたあと、敵の前で舞をしたという場所なんだそうです。
 
 神社を再建する費用を集めているようでしたよ。

 さらに、豊臣秀吉が豪気に花見にやってきたようで、そのころに献上されたというお宝(壺とか)や豪華な屏風が残されています。

 一目千本の山桜、5月ではこんな感じ。
 有名な吉野の桜は、もともとは金峯山寺の蔵王権現に献上するために植えていったものらしいです。
 最初に彫られた蔵王権現が、桜の木でできていたことから、この地の人々は桜の木は折れた枝でも粗末にしなかったとか。


 春ならば、こんな感じみたいです。(写真はイメージです。)

 初めての吉野山、この後、大日寺というところまで見ましたが、力尽きました。
 この日は33℃くらいあって、この時期としてはかなり暑かった。(3日間とも暑かったけど。)午後1時半から4時すぎまでという短い滞在でした。まる1日くらい滞在できれば、もっとちゃんと見られるんだったんでしょうね。
 まずはインパクトの強い蔵王権現様との出会いが、やはり良かった。

 しかし、再び吉野から奈良市まで、約2時間半掛かる。
 大阪からのほうが近いのが、なんだか腑に落ちないのでした。

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 1日目を投稿してからだいぶ時間がたってしまいましたが、2日目の様子を少し。

 ●椿光寺(しゅんこうじ)

 大きなお大師様が出迎えてくださいます。

 お大師様の足元には、霊水が湧き出ていて、おいしいです。

 中には、薬師如来と、弘法大師の像
 そして、気のイイ?ご住職様が、六郷満山のことや、比叡山での集会?の様子、京都で修業中の息子さんのこと、など、とびきりの笑顔でお話ししてくれました。

 奥様も、本当に人のよさそうな方で、お茶を出してくださって、遠くから来た私たちを気遣ってか、帰りにはジュースを持たせてくださいました。

 ちなみに、この界隈の『椿』がつくお寺さん同士には確執が存在するらしいのが分かったので、とりあえず、一番手前のこちらだけを拝観させてもらいました。

 なんだかよく分かりませんが、大変ですね。


 ●黒土不動尊 無動寺
 

 こちらのすごいところは、何と言っても・・・・

 拝観料が無料で、しかも本堂のお仏像の、写真が取り放題ってことでした。

 平安期の仏像16体(県の重要文化財)

 ちゃんとお茶を持ってきた女性に確認しました(拝観料も取らないのに、お茶と『ザビエル』(大分県のお菓子)も出してくれた。拝観記念の手ぬぐいまでいただいた・・・申し訳ないので、書籍を購入しましたが、親切すぎです。

 ご本尊の不動明王、その右側に大日如来、左側に伝弥勒菩薩

 

 薬師如来と十二神将像

 写真もたくさん撮りましたが、ゆっくりと畳に座って、疲れも休めながらお姿を拝見させてもらいました。すごいです。京都とかではありえませんね。

 本堂脇のお地蔵さんたち。裏手には十六羅漢像などの石像がたくさんあるそうです。

●真木大堂
入口からはそのすごさを想像することはできませんでした。


 おそらく、この九体の仏像(国の重要文化財)たちを保護、展示する目的で作られたであろう、新しい本堂は全面ガラス張り。もちろん撮影不可(>_<) 当たり前なんですけどね。

 とにかく、すべての仏像は大きい。そして平安期くらいの作で古い。圧倒的な存在感

 左から、大威徳明王像、上の写真ものです。六面六ぴ六足で水牛にまたがっている・・・火焔光背を背負い、堂々とした水牛の存在感!!!

 大威徳明王像の中では大きさ日本一なんだそうです。

 中央に、重厚な雰囲気の阿弥陀如来坐像で、周囲には、四天王立像、邪鬼を踏むポージングも決まっています。

 右手に、不動明王と二童子象

 この不動明王も、木造不動としては大きさ日本一、初めて見ました(気づいた?)が、火焔光背が、迦楼羅焔(炎が、不動明王の頭上で迦楼羅になっている)というもので

 不動明王の体を、ぐるりと取り囲むような印象的な火焔。中の不動明王が経年劣化しているのも相まって、なんだか、憤怒の炎に焼き尽くされているかのような・・・

 あああ・・・画像がないので伝えきれませんが、こりゃ、すげえインパクトなのです。

 あんな、あっさりした外観からは、想像することもできないくらいの真木大堂。また行きたい~~

 帰りには、境内の鐘をゴーンとつかせてもらいましたよ。

 さて、興奮冷めやらぬ国東半島から、そろそろ帰らねばならない時間が迫り、最後はちょっと変わったところへ

 ●地獄極楽(桂昌寺跡)

 





 室町時代に開基されたが、江戸時代には廃墟となっていた。江戸時代の中期に午道法印という僧侶が呼びかけて、村人が本堂を再建、裏の岩山に約70メートルの洞窟を掘って、人々に教えを説くために地獄と極楽を再現したとか。

 

 中は薄暗く、裸電球で照らされていて、壁は湿っていて天井が低くて頭を打ちそう。地獄の閻魔様の石像から、出口には阿弥陀様まで。カッパドキアにある、カイマクル地下都市に似ています(笑)あそこは乾燥してるけど

チャレンジしたい人は、くさりを伝って、極楽?まで行ける垂直に続く穴がある。20代くらいまでのスリムな男子なら、チャレンジしてもいいかもしれません。ムリは禁物です。昔の人の作ったものなので、安全面は考慮されていないと思われます。

 私はここで蚊にいくつか刺されて、帰りの高速でしばらく大変なことに。

 

 そんなエキサイティングな国東半島。アップするまでには相当時間をかけてしまいましたが、とても楽しかった。

 たくさん調べて連れて行ってくれてありがとう。感謝しています。

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