一隅を照らす。
トルコ石のお店もあるベルガマは、かつてペルガモンと呼ばれ、第二のアテネと称されるほど栄えた地。
紀元前281年、ペルガモンさんが王朝を築きました。
ペルガモン遺跡のうち、アクロポリスは高い高い、標高333mの丘の上にあるのですが、丘の斜面を利用した都市構造になっていて、大劇場は丘の斜面を観客席として、ステージは真上から見下ろすような構造になっていました。よくこんなところまで、大理石を運んだもんです・・・
右)大劇場 約1万人が収容可能。奥に広がる市街地をみていただけると、アクロポリスがとても高いところに位置しているのがわかってもらえるかと思います。
が、あったところ。
本物はドイツに略奪されて、この遺跡の重要な遺物は現在はベルリンにある「ペルガモン博物館」にあるそうです。
なかなか、返してもらえないんだって・・・
そういえば、昔、大英博物館に行ったときも、帝国主義時代の各国からの略奪物でいっぱいだったな。略奪された跡は、こんなになっているんですね。やっぱり、その土地がある程度安定していたら返してあげたらいいのにね。
ツアーメンバーには、ペルガモン博物館にいったことがあるという人もいて、まさかトルコの遺跡とは思わなかったなあ・・・と言っていました。
その後、バスにて移動、ベルガマ~トロイ 約210キロ/3時間
世界遺産 トロイ遺跡観光
ホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説上の都市とされていたトロイですが、1870年にドイツのシュリーマンが発掘した。紀元前3000ごろに最初の集落ができて、紀元400年ごろまで続いたそうな。ちなみにシュリーマンが発掘しドイツに持ち帰った財宝は、すべて消息不明になっているとか・・・
中に登って、手を振ることができます。
右)木馬の尻尾の中
トロイ戦争は紀元前1200年ごろだったそうです。
帰国後興味が沸いたので、ブラッドピット主演の「トロイ」のDVDみました。
・・・なんというか、トロイの第二王子パリス(オーランドブルーム)が、ギリシャのスパルタの王女ヘレネと恋をして、考えなしにトロイに連れ帰ったので、激昂した(そりゃ、そうだよな)スパルタ王がトロイに大軍を送り込み、難攻不落のトロイの城壁を破るために、最終的には木馬を使った・・・と。
ブラピは、スパルタ軍で飛びぬけて能力の高い戦士アキレス役、超セクシーでマッチョなボディーを披露しています。顔がブラピじゃなかったら、動きのすばらしいゴリラに見えます。
んで、案の定私はそれを自宅で見ながら、なんて迷惑なバカ王子なんだ・・・と終始あきれていたわけなんです。もうちょっとなんか、あっただろ。略奪するにしても。
略奪愛のおかげで、平和なトロイの王も、兄(第一王子)も市民も、スパルタ軍も、ガンガン死んでいきます。戦士にもみな、家族やら子供やらあるだろうに・・・と、やはり妙にハマれないわけで。
紀元前はやはり宗教の教えがまだないので、そういった抑制になるものがないのでしょうが、隣国の王女を略奪して、普通に自分の正妻に迎えられちゃったりするところがまた、すごいです。
上)トロイの遺跡たち。シュリーマンは財宝が目的でやみくもに発掘したため、遺跡をだいぶ破壊してしまい、保存状態がよくないとか
トロイ遺跡を観光後、ホテルへ
チャナッカレ コリンホテル
お部屋からのオーシャンビュー★
このあたりから、エーゲ海がマルマラ海になっていると思われます
チャナッカレは、アジアですが、対岸のガリポリ半島はヨーロッパです。
ホテルには、ハマムとマッサージなどが充実しています。
イケメンと手をつなぎながら歩きたいですね・・・うっとり。
私はひとり、近くのスーパーにトルコのビールを買いに行き、夜遅くまで、この海峡を大型タンカーが行き交ったり、ヨーロッパサイドの夜景を見ながらすごしたのでした。
明日は、いよいよヨーロッパへ渡り、イスタンブールへ★
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・・・だんだん、ブログ書くテンションが続かなくなってきて、更新が遅くなりつつありますねえ~。
画像をリサイズして、ブログにアップロードするのに、結構手間がかかるんです。
つーことで、6日目。
イズミール出発
エーゲ海から昇る朝日です。
イズミールからベルガマ(ペルガモン)まで約100キロ/2時間
現地ガイドさんの話によると、イズミールは、美人がすごく多い地域。
しかし、イズミール美人は、昼前に起きて、エステや美容室に行き、旦那より遅く帰ってきて、家事はほとんどせず(ハウスキーパーさんがやる)夜中まで飲む。そして朝、旦那は奥さんを起こさないように猫のように音を立てずに仕事に行く、とか。
ガイドさんも、学生のときにそれは美しいイズミール美人とお付き合いして、3年間、せっせと尽くしたが、疲れ果てて破局したとか・・・
これまで聞いた、トルコの女性たちとは、またぜんぜん違うのである。こりゃまた極端、ほんとかよ。
だから、こんな朝日が昇るような早朝に、町をうろうろしているのは、男性かハウスキーパーさんとか、仕事をしている人であって、美人は起きていない。から、車窓からキョロキョロしても美人はみあたらないよってことでした。
トルコ建国の父、アタチュルクさんも、若いイズミール美人と結婚(再婚?)し、数年で破局。 イズミール美人との結婚生活がどんなに大変かを語ったとか、なんとか。
拝見できませんでしたが、女性の憧れですね、イズミール美人。
若干、その話題はガイドさんの八つ当たりではないのか?的な雰囲気を感じつつ、車はベルガマの、トルコ石アクセサリーのお店へ。
とっても綺麗な店舗、高級な感じですが、これまた店員全員が日本語ペラペラ
ベルガマは、金の採れるところで、トルコ石に金の細工のしてあるものや、プラチナなど、高価なものが多く、ちょっとしたお土産程度のものは全然なかった。いくつかみせてもらったけど、あの真っ青なターコイズブルーが、私の顔色にあまりあっていないような気がして、買わないつもりでいたけれど・・・
アンティークトルコという、深い地層から採れたトルコ石・・・なんというか、グリーンがややクリーム色みたいな、そんなトルコ石の小さいものに、一目ぼれ

日本語の上手な店員さん、店長さん、そしてわれらがガイドさんまでが私をはさんで、日本語での値段交渉が始まって、定価から、だいたい3割ちょっと安くなったのだ。
たとえば、この店で店員との交渉が煮詰まっての、最終段階。ガイドさんと店長さんが出てきて
店員「定価から外国人の消費税割引で〇円、さらに団体割引で〇円、日本円でこの値段です」
と、電卓で、トルコリラを円に変えた表示にて提示。
シロクマ「・・・・う~ん」
ガイドさん「お~、店長さん。この子はとっても若くて、まだ学生さんでお金がありません(←お金が無いはその通り、学生さんはハッタリ)、もう5000円まけて、この値段にしてください」
店長さん「いやいや、困ります、私たちも商売あがったりです。」
ガイドさん「いやいや、5000円引いたこの値段で決定です。でないとこの商品は買いません、わかりましたね、交渉は終了です!」
店長さん「・・・わかりました、5000円引いて、〇円にします。ガイドさんには困りましたねえ・・・」
シロクマ「・・・・。(5000円引いても私にとっちゃまだ高いのだが、もう買わないといった雰囲気ではなくなっているので固まっている)」
このやりとり、オール日本語です。唯一の日本人である私が、一番喋っていないのはどういうことかしら・・・
・・・旅を通してつくづく、トルコの定価って一体何だ??って思うのだ。
そして、みんな商売上手なトルコ人劇団(旅行会社や、ガイドさんも含めて)に、外国でひとり担がれているだけではないのか・・・

そんな気分になりながらも、なんだかんだとても気に入って、記念に購入しました。
とりあえず、日本で買ったガイドブックにものってる、正規のお店らしいし・・・物の価値は私にはわからないから、値段に納得したらそれで良いかも。
ちなみにツアーメンバーは、私の倍以上するものが飛ぶように売れていた・・・ので
値段は、石の大きさもですが、どちらかというと金やプラチナ、銀の重さで決まっていたようで、石が立派であれば高いといったもんでもなかった。
こんなんで、ひとり異国でドキドキしている、普段買い物しなれない私なのでした。
ちなみに、安く売られているトルコ石は、アフリカ産のものが多く、細かい破片をくっつけたり、染色してあるものも多いそうで・・・何を信じればよいのか、う~ん。ほんとうか?ここで売りたいだけの話では・・・??
トルコでの買い物についてですが私にとっては結構ストレス。
値札がついていないことがほとんどで、相手が言ってくる値段のだいたい7掛けくらいまで値切って初めて購入せよといったかんじ。
だから、とても時間がかかる。ぱっと見て、ちょっと買うっていうのができない。してもいいけど、日本人はたいてい高く売りつけられるだろう。
だから、同じものを、同じ値段で強気な人はたくさんもらって、弱気な人はちょっとしかもらえない・・・
そして、なぜもっと値切らなかったのか、と周囲から怒られるのである

しかし、値切ったところで、トルコ商人のほうがまだまだ上手なのでは・・・??
「値切る」っていう文化が、基本無いので(関西発ツアーは強かろうなあ・・)
はっきりいって面倒、。けど、これもシルクロードやらなんやら、交易の盛んな長い歴史に基づいた商人文化なんだろう、日本は平和だ。品質も良いし。
なんだかよくわからないけれど、何も知らない私たちは、旅行会社と、ガイドさんの話「ここは、いい原料を使ったおいしいお菓子を売ってるよ」とか「ここはカードを使っても大丈夫な店だよ」「ここの店では買っちゃだめ」をとりあえず信じるしかないのである。
そこにいくばくかの利権が発生はしていようが、まあ、大きくだまされることはないのであろう・・・
そんな、ストレスといくらかの疑念を、今後、イスタンブールのバザールでの買い物まで旅行を通じたほとんどの買い物で感じたのでした。
ということで、文字ばっかりになりましたが、6日目後半へ続く!
世界三大料理って、フランス料理、中華料理、トルコ料理、らしいんですが
どうも、トルコ料理って、なじみがないので
旅行の前に、ネットとかでご飯の評判を調べてみたら
「ぜんぜん食べられなかった」とか、「痩せて帰ってきた」とか書いてあるのが目に付いたので、スーツケースの中には、小袋のお菓子とか、ミニサイズのカップめんとか入れていったのだ。
トルコはイスラム圏なので、まず、豚肉を食べない。これは基本として、
私の知っているトルコ料理は、シシケバブと、ドンドルマ(トルコアイス)くらいであるし
昔、ロンドンに行ったときに、ご飯があわなくて、旅行の間中一番おいしかったのはケンタッキーだったといったような前歴をもつ私は、あわなくてあたりまえ~の覚悟での渡航だったのだ。
トルコでは、最初にサラダ・スープが出てきます。そしてどこで食べてもおいしいパンが!
サラダは、ルッコラやビーツなど、味や香りの強いものが入っていることが多く、ドレッシングはたいていオリーブオイル、たまにヨーグルトをかけて食べました。
スープは、結婚式のスープといわれる、トマトスープにお米やミントや赤レンズ豆入っているものが何回かでました。ポテトスープというものもありましたが、ほとんど毎食、トマト味のスープ。
旅行で食べたもの(前菜系)
右)ギョズレメ:チーズ、ほうれん草などが入った小麦粉のパイ。甘くない。
白いんげん豆を、トマトスープとオリーブオイルに浸したもの。トルコではかなり人気のある代表料理みたい。確かにおいしいけど、トマトスープのあとに、ものすごく味の似たピラキが出てくる^^
そして、おいしいけど、全部食べたらメインの前にすごいおなかいっぱいになる。
あとは、前菜の盛り合わせとして、キュウリやトマト、各種チーズがワンプレートになったものや、イカリング、シガラ・ホエイという白チーズを春巻きの皮で揚げたようなものもありました(居酒屋にありそう、おいしかった)
(メインディッシュ系)
右)ナスケバブ:油をたくさん吸ったナスの下にはケバブ(焼いた肉)。
右)黒鯛のグリル:鱒のグリルも食べた。おいしいけどそのままでは塩味すらしないので、上から塩かけて食べた。
右)牛肉のケバブ 油のぜんぜん無い部分の牛サイコロステーキみたいな・・・おいしかった。
トルコの料理は、オリーブオイルとサルチャ(トマトペーストのことを指すらしい)で味がつけてあるものが多く、全体的に赤い。
意外にも?私は、初日からもりもりと食べ、残したらもったいないかな~と思って食べていたら、さすがに旅の中半では胃が重たくなってきて。「ちょっとトマト味に飽きたなあ~」と思いながらそれでも普通に食べてた。
なんといっても、朝、昼、夜ともに、日本にいるときの倍くらいの量である・・・・
そして、この量を食べた後に、トルコの人が大好きな甘いもの、もしくはまるごとフルーツが出てくる。
女性にしては、あまり甘いものが好きじゃないほうの私なのですが、現地のものはせっかくだから現地スタイルでいただく主義。
右)名称不明。離乳食っぽい、チーズとサフランとコーンスターチ?
そのほかにも、カステラのようなものがシロップにどっぷり漬かっているものやら、真っ赤なシロップに漬かったケーキとかなんだかわからないものすごい濃いクリームの中にフレッシュなイチゴがしずんでいるものとか、甘くてこめかみのあたりがキリキリするようなデザートが満載でした。
トルコの人は、トルコ料理が大好きでほぼトルコ料理しか食べない。日本人みたいに普段からいろんなものを食べていない。
それに、広い国土を利用して、食料自給率は100% すばらしい。いつ戦争がおきてもダイジョウブ。
そして、旅行だからではなく、トルコの人は小さいころから、この量と甘さを幸せに食べ続け、エキゾチックでオリエンタルな細身の美男美女時代を超えると、どんどんと太り始め、60歳ごろには男女共に100キロ近い国民が続出。
また、一般的に女性は特に太っているほうが裕福で幸せ。+イスラム圏であるために、女性はあまり外で仕事をしないばかりか、外出もしないことが奨励されているために、とっても太る。らしい。
前述したとおりトルコは結婚が早い、が、平均寿命も60代だそうで、多くの人が糖尿病などを患っているそうです。
20歳で結婚し、子供を育て、40代でじいちゃんばあちゃんになって定年し、糖尿病になってあわてて病院や、メッカへ巡礼にいって(一生のうち一度はメッカ巡礼に行けたらいいらしい)60代で死ぬ。という、ぎゅっと凝縮された人生。(ガイドさん情報だから、極端だったらごめんなさい)
ツアーメンバーみたいに、アラ還世代で、しゃきしゃき動けて、女性同士で海外旅行にも行って・・・なんていうのは、ありえないっぽい。
しかし日本人のアッサリした薄い顔は若く見られるから、もっと若い人かと思っているのかもしれない。
ヨーグルトにハチミツとケシの実が乗っているもの。
トルコは本当に、ハチミツ、ヨーグルトが激ウマでした

ヨーグルトは、すごく濃厚でコクがあって日本のみたいにさっぱりしてない。
お隣がブルガリアであることもあってか?ヨーグルトは本当に何度も食べる機会があって、そのたびにドライフルーツや、これまたおいしいジャムや、めっちゃおいしいハチミツをかけていただきました。最高★★★
・・・まあ、なんだかんだでご想像の通り、「痩せて帰ってくる」予定の私でしたが、旅の後半は明らかに顔が大きくなっており・・・・2~3キロは平気で増量してしまった。おそるべし、トルコの食

革製品のお店をようやく脱出して、エフェソスへ。
まずは、山の頂上までバスで登って、聖母マリアの家へ
聖母マリアはイエスの死後に、聖ヨハネとともに、エフェス(現エフェソス)のこの地に移り住み、余生を送ったといわれているところ。現在はキリスト教徒の聖地になっているらしい。
この日も、観光客のほかに、多くの巡礼者がみられました。
中には、マリア様の肖像と、像がありました。
郵便局があり、昨晩へろへろになりながら書いた日本への絵葉書を何枚か出しました。
5日ほどで届いたようで、なかなか優秀ですね。
その後、エフェス都市遺跡へ。
エフェスは紀元前11世紀、イオニア人による都市国家が成立、その後紀元前2世紀ごろにはローマ帝国の属領となり、ローマ、アレクサンドリアについで、3番目に人口の多い町だったとか。紀元前33年には、クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために上陸して、つかの間の甘いひと時をすごしたとかいう伝説も残る。
シルクロードの西の終点も、エフェスだとか。とにかく、ローマ帝国時代の、とっても主要な町だった、らしい。
イオニア式の大理石の柱。
イオニア式、ドーリア式、コリント式ってあったよなあ。
イオニア式が、一番シンプルだったような。
世界史の教科書、捨てちゃったなあ・・・。
ナイキ(NIKE)って、勝利の女神ニケなんだってさ。
左)ヘラクレスの門 2世紀
右)ハドリアヌス神殿
138年に完成し、ローマ皇帝ハドリアヌスに謙譲した神殿
117年に完成、当時1万冊の蔵書を誇り、図書館の壁下には、エフェスの統治者セルススのお墓があったそうだ。
とても優美で、そして壮大。
図書館の前面の壁しか残っていませんが、一階がイオニア式、二階はコリント式の柱でできていると、今、ガイド本で知った!そうだったのか、そこまで良く見なかったな~~失敗。
収容人員は2万5千人、ヘレニズム~ローマ期でも最大級。
劇場からとっても離れないと、全景を写真に収めるのは難しい。
現在も、いろいろな催し物が開かれている現役の劇場らしい。
エフェス都市遺跡は、観光客もすごかったが、春の小さな花たちや、青々とした草たちが成長する中に、古代の大理石の柱が転がっているすごい空間でした。
変に復元されていないところが、少し寂しいけど2000年近い時をますます感じさせて
私が生きているこの時間が、ますます小さく短いものに感じるのでした。
聖母マリアが、ヨハネが、クレオパトラが、アントニウスが、遠くからエフェスを訪れて、何を見て何を感じていたんだろ。
エフェスを後にして、イズミールへ。約70キロ/1時間
イズミールは、トルコ第3の人口を誇る港町。
人生初のエーゲ海が見えるレストランで夕食(黒鯛のグリルなど)いただいて
イズミールにある、プリンセスホテル。
なんとなく外観がバブリーでギラギラしているほかは、特に印象にのこりませんでした。そして、さっさと寝たにちがいない。覚えてないけど・・・
早朝のパムッカレから見所満載の、充実しまくった5日目が終了。
・・・結局、ガイドさんと差しで23時ごろまでいろんな話をした私は
(どんな仕事?、とか、給料がいくらくらい?、なぜ、トルコで貧乏話を・・・)
ふらふらになりながら部屋に入り、翌日は郵便局に寄るということだったので
夜1時までかかって、何枚かはがきを書いた。
・・・あまりに眠かったので、簡単な字をやたらと間違えた。
パムッカレの、パムサーマルホテル
水着着用の温泉プールのほかに、お部屋も温泉です
源泉はパムッカレから引かれています。
鉄っぽい感じの温泉でした。
お部屋はかなりシンプルで、何棟にもわかれています
ちょっと湯治場っぽい雰囲気もあったでしょうか。
パムサーマルホテルから、パムッカレは本当にすぐ
私は、パムッカレにとてもあこがれていたので、早朝、快晴の元で
青白く輝くパムッカレを見れることに、朝から超、テンションが高い(寝不足もあるが~)
世界遺産は「ヒエラポリスとパムッカレ」になります。
ヒエラポリスとは、石灰棚のすぐ上に位置する古代都市
紀元前2世紀ごろから栄えた都市の遺跡
温泉の有毒ガスが噴出する、プルトニュームという遺跡もある。
有毒ガスを吸ってトランス状態に陥った神官が、預言を行ったとか
魔界の悪霊、プルートに由来するそうなんですが、プルトニウムの語源ときっと一緒ね。
・・・しかし、ここでの自由行動時間のほとんどを、パムッカレの石灰棚を散策しちまったので、ヒエラポリスを見る時がほとんどなかったのである。
だから、言うほど見ていないの・・・。
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味。
段々畑のように連なる白い石灰華の岩棚、数千年間にわたって流れ続けた鉱泉が作り出した。
真っ白い炭酸カルシウムの塊が、この時間帯(午前8時台)はまだ、青白く印象的
左は、パムッカレを下から見上げたところ真っ白いダムがあるみたい。
上からの眺めは、本当に青白い石灰棚溜まっている温泉は、まだまだ蒼い。
一面の白、現実ではないような光景★
観光客の立ち入りのできる範囲の温泉は足首程度の深さで、体感的に40度弱?
はだしで入らなければならないので意外と、足が痛い!
世界遺産の温泉を飲む野良犬
リウマチ、高血圧なんかにいいらしい。
パムッカレの温泉は、年々湯量が減っていて、この日も、お湯の無い石灰棚が目に付いた
近年は保護政策により、これでも湯量が戻ってきているそうだ。
がんばれ、トルコ政府。
だって、天国みたいな場所だったよ。とても写真には残らない。雲の上のような世界でした。
憧れでした。幸せ。
大理石の柱など、ヒエラポリスの遺跡が底に沈んでいる
天然の温泉プール。
この日、泳いでいる人は誰もいなかったけど
入ってみたかった~~
しかし、時間配分的にも、ここにいたのは3分!
時間も短いが、最後に走って見て来たって感じ^^
青から真っ白にかわりつつあるパムッカレを、泣く泣く後にして、
ちょっと遅れそうになったのを、ガイドさんにおこられる寸前に集合して
移動)パムッカレ~エフェス 約215キロ/3時間
途中、オリーブ畑の中にある、ガーデンレストランで、さわやか~なエーゲ海地方の光と風を満喫しながら昼食。ああ、なんて素晴らしい日!うっとり。
そして、革製品のお店へ。
前述した、じゅうたん工場に続いての、強制入場であったけど、これがまあ。
悪徳商法のイベントに迷い込んだかのような(迷い込んだことないけど)
店中を、「貧乏ですから。すいません、すいません。」といって逃げ回り。しまいにはトイレに逃げ込むほどのしつこさでした。怖かった。買わない人たちはあたかも子羊の群れのようにひたすらひっつきあって、お互いを守り、時間が過ぎるのをひたすら待ち続けるのでした。
確かに、羊のやわらかい皮のコート、すばらしいけど、私には似合っていない。
さらに、日本人だからって、みんな裕福ではない。
しかし、トルコ人の商魂、たくましい。
「買わない人もいる」でいいではないか、と思うのだが。20人のうち、4~5人買えば十分じゃねーか??
旅行中に、トルコ人に一番主張したことは「私は、あくせく働く貧乏人だ、旅費で精一杯なんだ!」ってことだった。よーな・・・
商魂の巣窟から脱出し、気を取り直して、素敵な5日目の午後に続く★★
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てげてげゆるゆるによろしゅう。
以前のブログでははにわと名乗っておりました。
短期間でかなりの美白&成長に成功した様子。
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